今日、悲しいメールをもらいました。
内容は、僕らが前回のアラスカ撮影で見つけた
とっっっても、おいしい韓国料理屋が
なくなることになりました。
とっても悲しいです。とても。
アラスカにいる間の外食のパターンは、
ステーキ→ファーストフード→チャイニーズバッフェ→ピザ→最初に戻る
と、明らかに単調でした。
今年、そのレストランを見つけたおかげで
やっと一つ、グリース(脂っぽい)フードではない
食事が期待できたのに・・・
アラスカにいる間、滅多にしない外食の
バラエティが一つ減りました。
嗚呼、悲しいなあ。
そして、そのメールにはレストランのその後についても
書いてありました。
「日本食レストランになるみたいです」
またか!!
何故か、彼ら韓国人は日本食のレストランを経営していて、
実はアンカレジの日本食レストランはすべて
韓国人の経営者なのです。
アメリカでも日本食はヘルシーだという認識がされていて
日本で食べるより「割高な」寿司をおいしい!とアメリカ人が食べています。
でも、店員同士のやりとりが韓国語だったりするのに・・・
そんなわけで
僕らの楽しみが一つ減りました。
しかし、何故だ?
何故日本食レストランなんだ?韓国人!
カテゴリー: 日常のことば
どんだけ、浮かれてんだ
ヨメは中谷美紀の大ファンである。
ウチには中谷美紀の写真集が全部そろっているし、
CDも、もちろん全部そろっている。
写真集はぼくの写真集の本棚に一緒に収まっている。
いつもウチに遊びに来た友達が僕の本棚を
眺めると必ず、
「え?おまえ中谷美紀のファンなの?」
と訊いてくる。
そりゃそうだ。
だって写真集が全部そろっていて、一カ所に固めておいてあるから目立つ。
まして、僕の性格をしっている友達は
アイドルの写真集を全部揃えたりするタイプではないので
意外に思って必ずこの写真集たちを見ると
同じ質問になる。
「ヨメがファンなんだ」
そう答えると、
「へ〜本当にー」(一応の相づち、全然信じていない)
「えー奥さんだしにしてない?」
と、いずれも信じてもらえない
とまあ、そんなヨメが
今度封切られた
「あかね空」
の舞台挨拶付きの上映のチケットがとれて、
見に行ってきた。
その帰り、上機嫌で電話があった。
「今日、映画のカード作っちゃった」
「あ、そう。もしかしてクレジット付きのカード?」
「そうそう」
「え、なんで?」
「いや、何となく」
「何か得なの?」
「よくわからない」
「え?何で作ったの?」
「何となく」
最近クレジット付きのカードがやたら氾濫していて、
何のカードにでもすぐクレジットがついてくる。
あまり買い物もしないし、むやみにクレジットカードが増えるのもいやだから
なるべく作らないようにしようと決めていたのだった。
にもかかわらず、「よくわからない」のに作ってきた。
納得いかなかったけど、数日経った今日、
ふと別の話をしていたらカードの話になり、
ふっとヨメが漏らした。
「そういえば、なんで、カード作ったの?よくわかんないんだけど」
「あー・・・・・・」
「多分、生中谷美紀をみて浮かれてたからかも・・・・」
「は?!」
「浮かれすぎだろ!」
間違いなく中谷美紀に怪しい壺を持ってこられたら
ウチのヨメは買うだろう。
大家族
くまのゆめ
先日久しぶりにクマの夢を見ました。
知床でガイドをしていた時は、頻繁に見ていたけど
久しぶりに見ました。
でも久しぶりに見た夢は、
以前と趣向が変わったみたいで、ガイドの時は
クマがこちらに向かってきても
自分以外の人に向かっていって、自分は全く相手にされないで
何も出来ないでとても悔しい思いをするというのが、
いつものパターンだったけど、
今回の夢は川の中で割と大きめの若いクマと取っ組み合って
力比べをしている夢でした。
最初は川の土手で川の中にいるクマをのんびりと撮影しながら
観察していた。
そのクマは自分の事に集中していて、
全くこちらを気にしない様子で、川の中で何かを探していた。
こちらもクマが人がそばにいる事にストレスに感じていない事が
伝わっていて、その事に自分の中で手応えとゆったりとクマを観察できる
充実感でいっぱいになっていた。
しかし、ここから話が唐突に急展開する。
はっと気が付くとさっきまで観察していたクマと
まるでプロレスラーががっちり組み合うように川の中で
組み合っている。
その状況は恐ろしい恐怖心などは全く感じられないのだけれども、
とにかくこいつをここで負かせてしまおうと、強く思っていて
何とか全身に力を込めてみるのだけれど、150センチほどのクマは
こちらが力を込めるとその分、力を込めて押し返してくる。
こいつ小さいのに力が強いな!!と思ってさらに力を振り絞ると
その分またクマも力を込めてくる。
負ける様子はないのだけれど、がっちり重く組んでいて
とてもほどける様子はなかった。
どのくらい続いたのか判らないけれど、がっちり組んだ重さに疲れて
目が覚めた。
それからやっと夢だったと気が付いた。
この夢のおかげで全身に力が入っていて、疲れ切っていた。
手や足を一つ一つほどかないと力がゆるまなかった。
妙にがっちり組んだ重さがリアルだったと思ったら、
布団が変に絡まってまとわりついていて、身動きがとれなかっただけだった。
しかし、いつもクマが夢に出てくるとどんな夢でもとても疲れる。
風情っていいね
日本語という言葉に今日はしびれてしまった。
なんと素晴らしいセンスを持った言語だろう
僕らはこのセンスを普段生かし切っているのだろうか?
何ってあなた!
わかりません?このセンス。
騙しあいですよ。
これは、なんとすてきな名前でしょう。
一つのどんぶりの中でだましあってる物語のある食べ物なんですよ。
ただの揚げと天かすのうどんなんて、味気ない名前ではなく
「きつねとたぬきのだましあい」という素晴らしいセンス。
前に美輪明宏がテレビで
「狐と狸のばかしあいなんですよ、男と女って。ほとんど狐が勝って、狸がかなうわけないんです。」って言い切ってたセリフも思い出した。
この場合、狸はもちろん男ですが。
でも、思い出しただけで、この言葉に特に深い意味はありません。
ま、このだましあいうどんに勝敗は必要ないし、ずっとだましあってて
欲しいものです。
でも、実はただ名前に感動しただけで、食べなかったことは内緒。
そのうち「だましあい、ひとつ!うどんで!」って注文してみよう。
格差、格差というけれど、
最近、格差という言葉をよく聞く。
そんな言葉あったなあ、と思っていたら
いつの間にかみんな使うようになり、あっという間に浸透して
国会の焦点になるほど使われているようだ。
何かに追われるように皆この言葉におびえているけれど、
いったい何に差が付くのだろう?
ふと仕事先で見上げた満月にそんな事を思った。
なぜなら、
アラスカで満月の月光にじっと照らされたデナリの撮影中に
見上げた月の美しさと何も変わらなかったからだ。
そして、同じ月の美しさに感動している自分がいた。
必死に何かを探して生きているたくさんの人々の上を
あのときと同じ月が浮かんでいた。
この月の下で今日もたくさんの人が暮らしている。
この世界でちょっとした差が付いたところで
一体なんだというのだろう。
襖よ サラバ
先週と今週の休みを使って
襖を張り替えた。
ちなみにこの字は襖<ふすま>です。
「ねえねえ醤油ってかける〜?」ってCMが昔あったような
気がしますが、この字も書けない字に入ると思う。
今は襖自体が家にない家もあるから尚更かも知れないけど。
ちなみにこの写真が我が家の居間です。
廃屋ではありません
昨年末に張り替えようと、換え紙は買ってあったものの、
とても時間がなくここまで引っ張ってきました。
庭に搬出!
何時替えたのか判らない古い襖紙なので、きれいに剥がれず
強引に剥がす事にしました。
“素人の仕事は何事もやりながらコツを覚え、そして終わる頃にやっと慣れる”
この基本原則にならって、あくまでムキにならず、
一つ一つやり方を工夫しながら発見が楽しい。
ここでも、水を染みこませたスポンジでサッと一拭きして
水を襖紙に吸わせるとかなり剥がれやすくなる事が判明!
しかし、この発見ももちろん作業後半になってから。
「あっ、北海道」
「は?」
「ほらこれ・・・・」
ヨメの指さす先を見ると・・・
そうです。
あくまでも仕事ではないので、ストイックになってはいけません。
襖紙を剥がし、傷んでいる部分を木工ボンドで補修。
「下地だけにしてみると、これもなかなか趣合っていいんじゃないの?」
いよいよ、新しい襖紙を貼り付けます。
ホームセンターで買ってきた、裏に糊の着いていて
水で濡らして貼り付けるタイプをスポンジでサッと一拭き。
カッターで目地に合わせながらはみ出た部分を切っていきます。
説明書きによると、あらかじめ切っておいてから貼り付けるのが
正しいやり方との事。
しかし、我ら二人の現場責任者の判断により、
”この日が暮れ始めた時間にそんな悠長な事はしてられない!!”
と現場の意見で勝手に変更。
全部で表と裏を合わせると8枚も張り替えなければならない訳で、
当然、時間が経つに従って、写真を撮っている余裕など無くなり、
延長戦は室内へ。
しかし、残りあと1枚というところで、時間切れ。
結局、2週に持ち越したが、無事完成。
多少波打っているところはあるけれど、素人仕事にしては
なかなかというところでしょうかな?
まあ、もちろん次にやる時にはすっかり忘れているのでしょうが。
はっはっは。
まるで、遠き昔のように
今日は妙な日だった。
普段、あまり昔を振り返ったりする事はないのだけれど
ふと昔の事を思い出し、自分のいるこの今という時間を
感じる事があった。
仕事が一段落して、小腹がすいたので
ちょっとマクドナルドに立ち寄って
夕食のような、つまみ食いのような食事をとった。
同僚と店内で席につき、おたがい窓の外を見ながら
もそもそとハンバーガーを食べた。
向かい合っている席にもかかわらず、言葉を交わすわけでもなく
もくもくと外を眺めながら食べた。
しかし、それは重苦しい雰囲気ではなく
お互いにとって交わす言葉を必要としない、静かな食事だった。
きっと二人とも外の世界をみながら全く別々の事を
頭の中に巡らせていた。
いつもなら気にもならないのだが、ぼんやりとしていたせいか、
楽しそうに話す別の席に座ったカップルの会話の声が耳に入った。
何を話しているのかまでは判らなかったが、
会話のテンポの様子から彼が会話の中にしきりに
冗談を言って、それに彼女が楽しそうに笑っているようだった。
その様子は二人とも本当に楽しそうだった。
特に彼女の楽しそうに笑う様子が印象に残った。
ただ、その時ふと自分の事を思い出した。
「そういえば、あんなことが自分にもあったな。」
お金もなかったし(それは今もだけど・・・)、本当に若かった。
ああやって、マクドナルドに寄って本当に楽しそうに
女の子を笑わせたことがあったなあと思った。
いままで、そんな事を思い出したこともなかったけど、
何故かふと思いだした。
するとある事がすぐに浮かんだ。
「きっと今の自分にはあの時の自分と同じ事はできないな」
あれから、いろんな事が経験を積んでうまく出来るようになったかも
知れないけど、こんな風に本当に楽しそうにマクドナルドにいて、
女の子を笑わすことはもう今はできないなと。
不思議と悲しくはなかった。感傷にひたる訳でもなく
ただ今の自分の立っている場所がはっきりと見えただけだった。
まさかマクドナルドでつまみ食いをするために立ち寄って、
こんな事に気が付くとは思わなかったけれど。
おまけでもう一つ
何とも不思議な事があった。
結構長い距離をバスで
ずっと運転手と僕だけの二人きりの貸し切りバスだった。
人気のない場所だったら珍しくもないけど、交通量の多い道路を通る
路線だったので、外はにぎやかなのにバスの中はエンジン音と
運転手の安全確認の点呼とアナウンスだけだった。
二人きりのバスでずっと誰も降りず、誰も乗らない。
運転手の仕事がどんな物なのかじっくり観察できた。
しかし、なんとも奇妙な感じでいっぱいだった。
風邪ひいてました
いまさらなのですが、今年もよろしく
やっと正月の強行軍から立ち直りかけたところで、
風邪をひきました。
しかもほぼ同時に二人。
正月は両方の親の家に遊びに行って、
ようやく家で落ち着いたなあと
思った矢先でした。
感染源はずばり、義父。
遊びに行く日を風邪でダウンしているというので、
ずらしてまで行ったのが、原因でした。
今年は変な風邪です。
僕はずっと頭痛と微熱が続いて、
ヨメは何故かフラフラすると言いながら
調子が悪そうでした。
なんとなくパリッとしない年明けです。
いつもそこに音楽が流れていた
楽しい時も
悲しい時も
嬉しい時も
寂しい時も
いつも
いつも
音楽がそっと心をあたためてくれた。
世界は美しい。
What a Wonderful world – James Morrison
http://www.youtube.com/watch?v=8NO7YsYwBD0
そして この曲は聞くたびに僕のかなしい気持ちに
そっと付き添うように一緒に歩いてくれた曲だ。
Streets of Philadelphia – Bruce Springsteen
http://www.youtube.com/watch?v=bjVHKD07rUU