体折れても、心折れず

前に、トマトを植えたというエントリを上げて、実はその直後、
添え木をしていなかったためにすぐに根本からぼきっと折れてしまった。
人に話すと「もう駄目だねー」とか、「他の探して植え替えた方が良いよ」とか
言われたけれど、折れて数日しても葉っぱが下を向かなかったので、
そのまま玄関の柱に結びつけて、毎日せっせと
仕事から帰ってくると水をやっていた。
すると、枯れることなく折れた部分は、そのままの角度のままだけれど、
なんとグングンと成長を続けた。
だめかな〜とか思ったけれど、トマトの生命力は命ってすごいなあと感心するくらいだった。

「おいおい、勝手な事言わないでくれよ、おまえに決められるほど俺の生命力は
安っぽいもんじゃないぜ。」
と堂々と成長した枝を広げ、誇らしげに力強い緑を見せつけるかのように
梅雨を開けた初夏の日差しを吸収していた。
もちろん、根本は折れた角度のままではあるけれど、
立派なトマトが一つグングンと大きくなっている。

その青々とした皮の内側には、決して折れない生命力のエネルギーが
ぱんぱんにつまっていて、そのエネルギーはこれからの初夏の
太陽のエネルギーをいっぱいに受けて、さらにどんどんと詰め込まれていくのだ。

根本に一緒に植えた、バジルの伸びがトマトに比べると
弱いのが気になってきたけれど、これは
トマトソースwithバジルの現実味もおびてきたぜ!!
できれば、トマトはもう少し、数がなって欲しいなー

輝き

前に、屋根につけた地デジのアンテナがずれたのか、
近くで建て始めたビルの影響なのか、テレビの映りが
悪くなってきたので、屋根に上がって、ちょっと調整してみたものの
よけいに映りが悪くなってしまった。
そこで、一念発起してアンテナに
スタンドとワイヤーを買ってきてアップグレードした。
ちょっと、予想外の出費で、
半日かけて炎天下の中でいい汗かきながらの
アンテナの取り付けはなかなか骨が折れた。
最初はサクサクっと終わらせるつもりだったけど。
何が大変ってアンテナから、四方に張ったワイヤーの固定も大変だったけれど、
一人で受信の角度の調整をしなければならないので、
屋根の上から今のテレビの画面に映った受信の数値を
みるには知恵を絞った。
結局、姿見の鏡をおいて、角度を調整して屋根の上から見える位置に
置いて、そこに映った数値を双眼鏡で覗きながらちょっとずつ
角度をずらした。
金と手間をかけたおかげで、きれいに映るようになって、みられる放送局も
増えた。
そこで、今日楽しみにしていたNHK SONGSという番組のウルフルズの放送を見た。
先日、活動休止の発表をして、翌日に六本木でフリーライブを行った彼ら。
そのときのフリーライブにはぜひ行こうと、受付開始から必死に電話したけれど
全くつながらず、機会を逃した。必死に仕事を早退する理由を考えていたのに。
しかし、幸運な事に今回の放送ではそのときの様子を放送してくれた。
最初、「おっっっ!これは良かった、ここで見られるぞ」
と思ったが、見ていて何かしっくりこない。
ひたむきに元気のよさが突き抜けた、彼らの良さがまったく感じられない。
ふと何も伝わらない彼らのパフォーマンスをみていて、
そうだよな、活動休止をきめたバンドだもんなと
頭の中で言葉がよぎった。
バラバラなのだ。
彼らはテクニックもいいし、うまくステージをこなしていた。
でも、前に見た彼らの姿は本当に楽しそうに演奏していた。
バンドの中に存在している、気の混じり合いのようなものが感じられなかった。
四人で音を出す事のすばらしさをインタビューでそれぞれは語っていたが、
残念ながら、今回見た放送からは伝わってこなかった。
彼らはこのまま大人になってしまうのか?それとも取り戻せるのか?
それは時間が経てば、わかると思う。
マイケルが、忌野清志郎が逝ってしまい、ウルフルズが眠りにつこうとしている。
理屈をおいても、好きなバンドが一つ休止してしまうのは、寂しいなあ。

レイトショー 2本立て

昨日、今日とレイトショーを見てきた。
映画を見る事自体久しぶりだけれど、
毎日見に行った事何て今までなかった。
でも、レイトショーは安いので見たい映画も重なっていたしと言う事で
「エヴァンゲリヲン 破」
え?と言われそうだけれど、友達に借りたビデオで高校生の時に
夢中になって以来、気になっていたので見てきました。
筋も何となく憶えている程度だけれど、前作のビデオで見たものとは
印象の違った映画になってました。
技術って進歩するんだなあとCG満載の映画を見て
びっくりしてました。
この監督、新しく再構築するなんて言っているのを
どこかのインタビューで読んだけれど、
あらかじめヒットしている作品にさらに良い肉付けがしてあったので
楽しめました。
でも、映画館のでかいスクリーンで激しく動き回るアクションシーンの
迫力のおかげで、話の細かいところを憶えていられなかったのは、
もっかい、家で見ろってことかな?
「レスラー」
帰ってきた猫パンチ。ミッキーロークお帰り。
良い演技でした。
良い映画でした。
例えクズと呼ばれ、帰る家も待っている家族もなくとも
今日も俺は待っているファン達のいる、自分の居場所で戦いつづける。
けっして美化されているわけでもなく、悲しく寂しい現実も描写されながら、
現実と向き合って生きていけない、夢を追い続けるレスラーの晩年の映画。
前に江頭2:50が
「俺のライブに来ている連中の顔を見ると、結婚はおろか恋愛もまともに
出来ないんじゃないかって連中ばかり。
だけど、俺はそういう奴らのためにこそ、お笑いをやりたい」とどこかで、
インタビューに答えていたのを不思議と思い出した。
体もぼろぼろになり、命をすり減らしながら
最後までリングに立つ彼の姿に、夢を追い続ける男の覚悟と
忘れてはいけない現実という二つがラストに結びつく。
両日とも、映画館をでて一人、駅までの道のりを
夜風に吹かれながら、何も考えずに歩く。
濃厚なストーリーに触れたはずなのに
その物語を反芻するのではなく、
ほほをなで、吹き抜けていく
風の感触と、含まれた湿度の濃さを
ただ感じ歩いた。
映画を見た事も、豊かな時間だったけれど、
この夜風と歩いた時間も良い時の使い方だった。