メリークリキントン

いやー、日常に押し流されてそのままになっておりました。
何も考えずに黙々と日々の忙しさに流れていくと、
本当にカレンダーの数字だけが過ぎていきますね。
ひさしぶりに更新です。
何を書こうかなあとぼんやりしているうちに
とっかかりが無くなり、今日はクリスマスをきっかけに
久しぶりに書いてみました。
とはいっても、のんびりと奥様の実家のホームパーティ
のんびりターキーを食べくつろいでおります。
クリスチャンではないけれど、
一年に一度、みんなで集まってのんびり
ごちそうを食べる。

何はなくとも

「いったい何がこんなに忙しいのか!!」
というくらい精神的に余裕がない
しかも、いろんな仕事に巻き込まれ、まったく自分の写真とは
関係ない事に時間が取られ続け、なーんにも
クリエイティブな事ができず凹んでます
あーー、ロケットの打ち上げを見たい!!
テレビで見た事しかないけど、
地球の重力を振り切って、宇宙へと飛び出していく
あのエネルギーを直に感じてみたい!!
あれこそ、人間の意志のカタマリだよな。

ホテル ルワンダ

結局、今回の休みは幾つか用事を済ませた後、夕方からゆっくりと
借りてあったレンタルビデオを見た。
今回借りてきたビデオ。
「ホテル ルワンダ」
公式サイト
1994年にルワンダで実際に起こった100万人の人たちが
わずか100日ほどで虐殺された事件を舞台にした映画。
主人公はある高級ホテルの支配人で、めまぐるしく変わる状況の中、
虐殺を続ける暴力の手から家族や隣人そして、逃げ込んでくる人々を
自分のホテルにかくまい続け、自身の命を危険にさらしながら、
やがて1200人もの人々の命を救う。
以前に見た映画で、
「戦場のフォトグラファー」
公式サイト
というある戦争報道写真家を取り上げたドキュメンタリー映画の中で
今回の「ホテル ルワンダ」の舞台となった94年のルワンダ虐殺を取材した時の
インタビューとその写真家が実際に撮った作品をこの映画の中で見た。
彼の作品(彼の作品にジャンプします上のHUTUという写真です)
が心に焼き付き、この虐殺の事件が心のどこかに残っていた。
今回ビデオ屋の棚の前でふと「ホテル ルワンダ」のビデオのパッケージを見た時にフラッシュバックのように彼の作品を見た時の思いが一瞬で心に甦った。
この「ホテル ルワンダ」の中でどうにもやりきれない気持ちに
なったシーンがあった。
それは、主人公である支配人がホテルの物資を仕入れにある商人の
倉庫に行くシーンだ。
情勢は虐殺が始まる前。
物資を運ぶフォークリフトからある木箱が、偶然滑り落ちて壊れ、
中から大量のナタがこぼれ落ちる。
極右の商人は悪びれもせず、
「このナタは中国から1本10セントで輸入したんだ」
と支配人に言う。
のちにこのナタは100万人もの人々を虐殺することの一部に使われる。
このシーンによって、自分の中で前に書いた写真家の作品とつながり
この虐殺が日常の中から生まれた事件として、ただ人々の虐殺という
インパクトだけでなく、すべてがつながって理解する事が出来た。
この「ホテル ルワンダ」の映画の中で、あるテレビクルーが
「この悲劇を伝えたとしても世界の人々は怖いねと言うだけで
彼らの夕食に戻るだけだ。彼らは助けに来ない」というセリフを言う。
しかし、この映画を撮ったクルーや監督、そしてあの写真家が
伝えたこの虐殺はつながり、そして僕の中で種として残った。
まだ何が出来るか判らないけど、これから出来る事を考えてみようと思う。
ルワンダ虐殺の背景についてはこちらも参考にしてください。
追記:一緒にロブ・マーシャルの「SAYURI」も借りてきたけど、
ひどいアジアなまりの英語のセリフを聞いていると、
舞台が日本と言うより、韓国が舞台の映画に見えてきました。
何故韓国かというと、アンカレッジは特に韓国人が多くて、
日本人が少ないのです。
アメリカではアラスカばっかりの僕にとっては、
アジアなまりのおばちゃんの英語というと
コリアンの人々に頭の中で結びついてしまうからです。
おかげで、全くストーリーに引き込まれることもなく、
「これは何の物語なんだろう?」としらけた二時間でした。

久しぶりの休み・前夜祭

社会復帰して、久しぶりの休み ★★★
あんまりうれしいので、★なんてつけてみました
いやーうれしいなあ。
何しよう・・・
とりあえず、忙しいおかげでちらかったままの部屋の
片づけを・・・・
このワクワク感・・・
明日はなにしようかなあ
とりあえず、今晩は
ゆっくり熱めの風呂に入って、
部屋を片づけておけば
明日朝一で洗濯をして、
ヨメのパソコンのセッティングをして・・・・・
さあ、
頑張るぞ!!(ねむいねむいねむい)

柿、熟れました

日本に帰ってきて、一番の楽しみといえば、
何より新鮮なものが食べられること。
これは野菜や肉や魚に限らず何を食べても、
日本の食べ物はおいしい。
帰国直後はコンビニに入っただけで、
その品揃えの豊かさに感動する。
今日はヨメが庭にある柿の木から
新鮮な柿を取って、食卓にデザートで出してくれた。

うまい!!
うまい!うまい!!
どう逆立ちしてもアラスカではこれは食べられません。
特に柿が好きって訳ではないけれど、こんなにおいしい柿が
自分の家の庭から採れるということを考えるだけで、
とても豊かな気持ちになる。
「家の庭からとてもおいしい柿が採れるんですよ」
誰に言う訳ではないが、誰かに言ってみたい。
「あっそう」と言われそうだけれども。
自然の中から自分の食べるものを自分で取る。
もちろん、すべての自分の食べ物をまかなう事に
なった場合は、それが豊かだなどという余裕すらないほど
必死に生きていかなければならなくなるだろう。
飽食と言われる時代。
しかし、庭にある柿一つで思い出させてくれる事がある。
そのために自分の手で、自然の中から自分の食べるものを自分で取る。
あ、そうそう、もうひとつ言いたい事があるんですよ
「今年はゆずも豊作なんです」
たまりませんね・・・・

死の連鎖


このところ、毎日自殺のニュースがつづいている
毎日誰かが、死んでいく。
そして、その事が当たり前のように耳に飛び込んでくる
死の連鎖
毎日、新しい鎖がつながっていく

年間3万人。(こちらのデータ参照)

3万個のつながった鎖がどれだけの長さになるのだろうか?
いったい何がきっかけで死を選ぶのか本当のところは
本人しか判らないだろう。
しかし、3万人という数字を僕の頭で想像する事が出来ない。
この数字はスタジアム一つ分の人間が
丸ごと自ら命を絶っているのだ。
しかも、毎年。
これだけ物質的には恵まれていると言われている日本で、
これだけの数の人間が自分の未来に失望している。
ここまで書いたが、いったい何がこれに対しての答えになるのだろう?
「希望の火を掲げる事」
それが自分の出来る事かも知れない
まだ漠然としていて、何が出来るかも判らない
しかし、逆風にも負けず掲げ続ける事で
あるいは彼らの中の一人の顔を照らす事が出来るかも知れない