ボブin my dream

今日は不思議な夢を見た
ひさしぶりによく憶えて、目が覚めた。
目が覚めた時に、あれ?夢だったんだ?
と思ったくらいだ。
忘れないうちに備忘録として書いておこう。
夢の話なのでもちろん脈絡はないけど。
いきなり、気がつくと
どこかでの室内で、いきなりおろおろしていた。
誰が一緒なのか判らないけれど、数人の仲間と一緒にいて、
その部屋に黒人が突然、数人で入ってくる。
外には沢山の人だかりで、まるでそこから逃げてくるかのように
そのグループがちょうどドアを閉めた時に
グループの中の一人がなんとボブ・マーリーだった。

なぜかすぐに判った。
そのとき、声をかけようとしたが、
夢の中では(なんと珍しい事に)、どう声をかけて良いのか
手を出しかねている感じだった。
頭の中では、中学生の僕が初めて買った洋楽のシングルのCDはあなたの
[No woman No cry]のCDだったんです、と伝えたかった。
どこかの航空会社のCMで流れていた曲をきいて、レコードショップにいって
わざわざ店員さんの前で歌って、曲名を教えてもらって
それから今も大事に持っています。
そして、いろんな時に聴きました。
僕にとっては聴く度にいろいろ聴いていたときのことを
それぞれ思い出す、そしてまた今も聴いている。そんな大切な歌です。
ぼくにとってはとても大切な歌なんです。
そう、伝えたかった。
そして、このCDにサインをして、あなたの魔法をかけてください。
僕にとってこの特別な歌を、あなたと結びつく事で
もっと宝物にしたい。どうか、サインをしてくれませんか?
(その時、何故か突然手にCDをもってた)
こう伝えようとしてボブと眼があったところで、
一瞬の時間だったかも知れないが、眼で言葉をかわした。
不思議と、頭に流れこんでくるような二言三言交わした。
そして目が覚めた。
残念、何を会話したかは憶えてなかった。
不思議と力が入るでもなく、良い夢だった。
不思議な夢だったんだ。

気まぐれ菜園

先日、何かのおまけで付いてたバジルの種を
土に植えて水をやりながら、育て始めた
ちゃんと大きくなるかわからないので、
ポットを買ってくるよりもと思って
ペットボトルを切って、底の部分をポットにして
土を入れて、種を植えてみた。
しばらくすると、半分くらいが芽を出した。
朝仕事に行く前に外に出して、日に当ててやり
ちゃんと水をやって、夜は家に入れた。
我ながら意外なマメさだなと感じたけれど、
ある程度大きくなってから、成長がゆっくりのように
感じられてくると、急に何かが気になって仕方なくなってしまった。
きっと、こんな鉢をケチって小さい物に入れているから、
なかなか成長しないんだなと考えてホームセンターに
行ってプランターを買ってきた。

気になってしまうとその事しか目に入らない性格だけれど、
つい、あれもこれもと買ってしまい、コリアンダーの種と
トマトの苗とプランターまで買ってきてしまった。
おまけに前に買った、コンシンネの鉢まで。

前から、小さい犬に洋服を着せてる飼い主を揶揄してきたけど、
これじゃ対象が違うだけでやってる事は全くおなじだったのに
自分で恥ずかしいけれど、これがなかなか楽しい。
きっと、うまく育てて収穫してやる!!
収穫予定
コリアンダー
トマト
バジル
せっかく収穫しても、パスタくらいしか作れないな、これじゃ。

更新してねーなー、俺よ

いや、忘れてたんですよ。
ここのね、更新を。
ま、すっかり毎日過ぎちゃってますよ。
ネタがないわけでもないし、暇なわけでもない。
 ただ、更新してないのです。
すみません、怠け者で。
でも、良いニュースもあります。
今はまだ話せないけど、
少しづつ前に進んでます。
最近は自分のモチベーションが変わりました。
やる気になったとか、モチベーションが高いとか
そんなレベルではなく、何か吹っ切れた気がします。
俺は「写真家」です。
もっと、整理して話せる時に
ゆっくり書きます。

うちは焼き肉の卸はやってませんよ

あの〜 ○○ですけど〜
いつもどおりー、ハラミを3キロ、テッポウを2キロ
お願いしますね〜
ガチャ。
朝起きて携帯に録音されてたの留守電を聞くと
こんな電話。
いや、いつも通りって。
いきなり留守電入れるのって結構、危ないのね。

明日の自分と昨日の自分。そして、今日の自分を知る。

最近、いろいろと不運が重なる出来事が続いているけれど、
これも何か自分が招いている要因もあるのだろうとじっと我慢してきた。
まだまだ、これからの道のりは険しいところばかりが目につくし、
自分が今まで何をどうやって、どこまで歩いてきたのかも判らない
ように今は自分を見失っている感じがする。
前を向いて進んでいるように考えていたけれど、それでも
何が進んでいるのかもわからない。
そんな焦りからちょっと疲れていたこの頃だった。
「人はそれぞれ、可能性を最大限に引き出す可能性を持っている。ただ同様に、その可能性を浪費もする。あなたが持っているものをどうコントロールするか、それを理解することがカギとなる。それは、野球にだけ言えることではなく、人生にも言えることだ」
これは、あるメジャーリーグの野球チームのロッカールームに貼ってある言葉だそうだ。
昔、ある活躍したサッカー選手がいた。
彼は才能にあふれ、人を惹きつけるカリスマ性を持ち、
若くエネルギーに溢れていて、日本中が彼に夢中になり、当時
高校生だった僕もサッカーをさほど知らなくても、彼のプレーに夢中になった。
しかし、彼はそこがピークだった。
その後は期待されながらも、ズルズルと後退し、
「あれ?今、そんなところでプレーしてたんだ」と彼の名前を見るたびに驚いた。
そして、最近どこかで引退したという記事を読んだ。
そんな彼の事がずっと、引っかかっていた。
最近、自分の事で悩んでいて先ほどのロッカールームに貼られている言葉が
実際に自分に大きく響いた時に、そんなサッカー選手の彼の事も
繋がって思い出した。
もちろん、直接接しても居ない人間が何か簡単に推し量れるほど
スポーツの世界はやさしい物ではないだろう。
それでも、彼は何かを見失ったのかも知れないと今回の言葉と重ね合わせて
何か自分で納得した。
そして、その事から
自分ができる事が一生続けられるかどうかわからなくて、今できる事がいかに幸運かとはっきりわかった。
そして、その今を考えているのではなく、何かを見失って悩んでいる自分のせいで浪費している事。
ここ数日、そんな事が繋がっていくように自分の中で浮かび上がった。
今日、ある写真展にいった。
同じ、北の自然を旅している写真だった。
ある写真の前で自分の中に何か響く物があった。
それは、夏の終わりに北の自然では気温差から朝靄がたつことを伝えている写真だった。
その写真の前に立った時、自分も同じ朝靄に立っていた事を思い出させてくれた。
でも、こんな風にも思った。
その霧の感触をじぶんならもっと表現できる。
傲慢かも知れないけれど、そう思った。
霧が肌に触れる感触や、朝日が昇り靄を突き抜けて差した時の暖かみ
そんな事を感じて撮ったはずだと。
それは人にも見てもらえず今は、まだ眠っている。
では今自分はどこにいるのだろう。
可能性は信じている。でも、もっと自分が持っている物を理解する事
まだまだ、時間はかかるかも知れないけれど、
勢いだけでやってこれた20代とは違う自分が今何より、自分のために必要だ。

テンキー誤爆

疲れて、机の上で寝ていたところ、
携帯がメールの受信でいきなり鳴った。
うわっと
びっくりして起きたら
そのまま、起きた拍子に飲みかけのペットボトルの
コーラをテンキーの上にひっくり返してしまった。
一瞬何が起こったのかよくわかってなかったけど、
あわててボトルを拾って、ばたばたとタオルで拭いた。
他にもフラッシュメモリやら、外付けHDDやら
いろいろ机の上には散らばっていたけれど、何とか無事だった。
あぶない。危うくノートPCお釈迦になるところだった。
テンキーはベタベタで使えなくなってしまうだろうなあ。

おとなになったのだろうか?

見事に休みは無くなりましたが、
平謝りに謝り、どうにか嵐は収まりました。
あいかわらず、まだまだだなあ。と
思う反面、
今度は悩める同僚の愚痴を聞く羽目になりました。
愚痴を聞いているウチに「ここ、実はこんな見方もあるんじゃない?」
と指摘していると、見事に収まってしまいました。
別に収めようとして訳ではないけれど、それでも
そんなわざわざ損するような物の見方をしなくてもと
思ったので、そのまま伝えてみたら、
ふっと力が抜けたように彼の悩みが解決したようです。
いろんなことに気がつくようになったみたいだけれど、
いらないところで手を抜いて、ヘマしたり。
なかなか、成長しているのか、それともそのまま変わってないのか。
まだまだ自分の事はよくわからない。

おれは!流されているのか、流されているのだろうか…

あ・・、ああ。
仕事でヘマこいたー。
あーあー。
まあ、明日の休みが見事に吹っ飛びました。
おかげで明日は取引先に、謝りに行く羽目になりました。
くそー。
損害与えたわけでもないし、まあ簡単に言うと
地雷と呼ばれる人の機嫌が悪い時に見事、
踏み抜きまして。
それが理由であります。
だって、やばいやばいとは聞いていたけど、
顔知らなかったんだもん。
しょーがーねーよー。
あーくーやーしー。
しかし、アラスカのためと割り切っている仕事のはずなのに、
何だかメインの領域を侵し始めているよなあ。
一生懸命働いていますよ。毎日。
評判も悪くないですよ、皆さんの。
でも、別の見方からすると、これでいいのか?
とも思ってしまう。
バランスがとれているという言葉があるけれど、
バランスは中心があって、それを元に右にフラフラ
左にフラフラと揺れている状態のはずなんだけど
今のこの状態は、その他の方々から見れば
一生懸命働いているという意味では評判良いんだけれど、
肝心の自分から見た時は偏っているよなあ。と思ってしまう。
つまり、バランスはとれていないわけだ。
しかし、毎日ブレ続ける自分の主観でバランスをとるというのは
とても難しい作業だ。
その主観が会社の評価だったり、同僚からの視点だったりと
外部にあるというのは、それはそれで大変だけれど
バランスは一定だからまだ楽だよな

初恋のひとからの手紙

初恋の人からサーモンさんへお手紙が届きました。
サーモン、ひさしぶり。
もう旅先で模造刀を買うクセは治りましたか?修学旅行の貴重なおみやげ代を模造刀に注ぎ込んだサーモンを思い出すと笑ってしまいます。
泣きじゃくる私にサーモンが「好きだけど別れなくてはいけないときもある」などときれいごとを並べてお別れすることになったあの日から、もう16年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。
お手紙を書いたのは、とくに用事があるわけではないんです。ただふと思い出して懐かしかったので、思いつくままに手紙に書こうと思いました。ふふ。驚いたかな?
思い返してみると、あのころはサーモンはとても優しくて、大人びていたなぁと思います。私は素直になれなかったから、平気で「サーモンはどうせ胸さえ大きければいいんだよね!」なんて責めるようなことを言ったけど、サーモンは「そんなことはないよ。カラダ全体が大事だよ」って優しく諭してくれたのを覚えています。少しヒドイと思ったけれど今でも心に響いています。
そういえば私にとっては9人目の彼氏でも、サーモンにとっては初恋の相手なんですよね!今思い出した。そうそう、最初のころのサーモンは「元カノからまだ連絡がくる。めんどくさい」なんて嘘ばっかり言ってて(笑)。妄想もそこまでいくかとこっちが恥ずかしくなったものです。
私たちが付き合い始めたころ、サーモンは「こんな気持ちになることはもう一生ない。ずっと一緒にいてくれ」と言ってくれましたよね。「それはちょっと・・・」と思ったりもしましたが、嬉しかったです。そういう口だけなところもサーモンらしかったですね。
サーモンと付き合えて本当によかったなぁと思うところは、「恋愛をしないほうが楽なときもある」ということを学べたことです。サーモンと別れた後、恋愛依存の私が「もうしばらくは恋はいいや」と思えたのは、とても大きいことです。ありがとう。
いろいろ書きましたが、私はそんなサーモンのことが好きでした。これからもサーモンらしさを大切に、当時本気でやっていた透視の練習も続けて(笑)、新しい誰かを幸せにしてあげてください。
またいつか会いましょう。では。
P.S. 将来マッチョになるって言ってましたよね?どうなりましたか?
という面白いページを見つけました。
結構、当たってたりして。口だけなところって…。うっ。
生年月日といくつか質問に答えるとこんな素敵な手紙がきます
よかったら、どうぞこちらへ
この手紙だけじゃなくて、分析もあるのですが
こっちは死ぬほど当たってるのでちょっと載せません うひー