人って生きているだけで、いろいろなものを好きになったり、
そしていろいろなものに励まされたりして生きていると思うけど、
社会に出てしばらく生きていると、その時その時
励ましてくれたいろいろなモノたちが、やがて
時の流れとともに移り変わって消えていく。
そんな事にも気がつく年になりました。
この前の田口選手の日本球界復帰もそう。
彼もきっとそう遠くないうちに、引退という一つの区切りがやってくるだろう。
そして、この前気に入っていた野狐禅とバンドも
いつの間にか解散という区切りを迎えていたことを知った。
「生きる」という情熱を全面に打ち出した彼らのパフォーマンスは
他にないすばらしいもので、そのエネルギーの放射は同じ空間にいない
ことすら超えて、びしびしと浴びせられる純度の高さが心地よいモノでした。
野狐禅(wiki)
解散について
夢の終わりと
宴の終わり。
カテゴリー: 日常のことば
いがいと
iphoneそろそろなれてきました。
んで、意外とできないことがいっぱい。
それを列挙。
(2010.1.21現在)
・メールの振り分けができない。
・アプリを使ってしばらくしてから再び使おうとすると同じ階層で始まってしまうのが不便。
(複数のメールアカウントを持っていて、Aのアカウントで読んで終了していて、しばらくしてから
新しいメールをいつもつかっているBのアカウントから送ったつもりがAのアカウントから送ったことになってた)
・毎日定期的に送るようなメールを毎回作り直さないといけない。(履歴からコピーができない)
・横に寝そべってメールを見ようとすると常に横表示(センサーあるからしょうがないんだけど)
・履歴が見づらい(発信着信入り乱れてる)
・辞書登録がアプリ(あいつの名前が入れられないのよ、いちいち金取らないでくれ。)
便利なところ
・アプリ (今までの携帯ではできなかったから、ないよりマシ)
・タッチパネル(使いづらいかと思ったら、悪くない)
・地図便利
・思いついたら忘れる前にすぐWebで調べられる(思いつきで生きてる俺にとっては超便利)
・同期最高(PCと同じアプリはべんりだね)
日付を入れたのは、いろいろ調べようとしてみると
結構古いのも上位に出てくるので。
iphone 3GS対応
あー、二日休んだけどまだ眠い。
何にもしてないけど、部屋片付けないと。
コーヒー飲んでカフェイン頼みでやっつけよう。
iphone
12年に一度の好機の今年、
まずは携帯を一つ追加しました
今頃かもしれないけど、iphoneです
デスクのimacとiphoneそしてgoogle
シームレスにいろんな事がリンクできる環境になってきたので、管理を簡単にしようと
いろんなデータを統合中
やりたいことが欲深いのか設定がなかなかうまくいかなかったりで、
買って一週間たったけどまだ初期設定と格闘してます
とりあえず、今はThunderbirdとmac アドレスブック
そして今まで使っていた携帯のアドレス帳が
iphoneの中でぐちゃぐちゃになっています。
それぞれ入力フィールドがばらばらだったり
グループリストが反映されなかったり
なかなかうまくいかないです。
超面倒くせえ
ここで一本化すれば、
アラスカ行ったときのwifi使って、skypeできるし
連絡先のリストにも成るし、
いつでも情報もって歩けるのに・・・・・
さて、1週間
今年に入って、まずは1週間が過ぎました。
昨年はひどかったと書きましたが、
年始のいろいろなテレビによるとどうやらぼくの魚座は12年に1度の
幸運期にはいるようです。
具体的にどうすごいのかはさっぱりわかりませんが、
いくつかの別の番組でそう話しているのをみたので、
きっとそういうことなんでしょう。
そのせいか、まだ1週間ですが体が軽くなったようです。
今年の正月はしっかりと大掃除をして、ひどかった去年の
不運をはらってから迎えようと思って、毎年恒例移動の激しい
年末年始をやめて、しっかり家で過ごしました。
師走にかけて、風邪と新型インフルとたてつづけに
被弾し、疲れがたまっていたのもあって
寝正月を心がけましたがこれは、良かった。
来年もこうしたい気分です。
幸運期と寝正月
おかげさまで、なかなかいい滑り出し。
やる気もばっちり、いい1年にできそうです。
業務連絡:近いうちに10年近く使ってきた@niftyのメールアドレスを
変えます。月内に関係者の方々にはメールします。
もしくは、ちゃんと教えてねという人はコメント欄に痕跡残してもらえましたら対処します。
あけましておめでとうございます
2010年1月1日
新しい年がやってきました。
今年もみなさまよろしくお願いします。
一年というサイクルでみると、去年は散々な年でした。
ひどいもんだなーと端から言いたくなるように我慢の年が
続き、何も動けず、上も向けずどこにも行けないのかと
じっとしている時間が去年という一年間でした。
はてさて今年はどうなるのかという気持ちもありますが、
去年学んだ
「起こる物事はすべて自分が招いた結果」
という言葉を胸に一つずつ片付け、きちんと
向き合いながらやっていくことから始めようと思います。
もうちょっと賢い30代を過ごすつもりでしたが、
やっぱりどこまで行っても僕は僕。
しっかり、汗かき恥かきやっていかんとだめだなと
胸の中で暖めている、夢に向かってがんばります。
それでは、みなさん今年も一緒によい年を過ごしましょう!!
12年目の愛情
道具というものは愛情をかけて手入れをしてやれば
長く働いて尽くしてくれる。
物欲は多いタイプなのかも知れないけれど、
気に入ったものはだいたい長く使っている。
これだ!ととびきり気に入ったものをいくつか持っていて
それをその時期の気分に合わせてローテーションで使うので
順繰りまわってくる。
道具はそれだけを使いすぎても駄目だし、
全く使わなくても駄目だ。
普段身につけているものだと、やっぱり飽きが来る。
あるとき飽きても、流行には無頓着な自分の好みは変わらないみたいで、
しばらくすると
「お、これやっぱりいいな」と引っ張り出して使う。
たまにメンテしてやると、結構何年経っても使える。
このサイクルを繰り返していると、それなりにものが増えても
あるラインからは順繰り回転し出す。
今回はGSHOCKを久しぶりに使ってみようと
点検すると、一つはネジが頭だけとれていて
もう一つはウレタンのベゼルに割れ目が入っていた。
そこで、Casioに部品注文。
昨日届いたので、さっそく交換してみた。
6000円くらいで中古で買ったDW5600E(四角い方)は
よく考えてみると、僕が使い始めてもう12年くらいになる。
流行の電波時計の機能もないし、せいぜいバックライトがつくのと、
頑丈さが取り柄のシンプルな時計だ。
慎重に道具を扱える性格ではない、僕の下で12年も頑張って働いてくれているのは
すごいことだ。
アラスカにはじめていったときにつけていったのは、コイツだった。
ベゼルを交換してやるとまるで新品のような面構えになった。
Banff Mountain Film Festival
昨日、Banff Mountain Film Festivalを大崎で見てきました。
先日、パタゴニアのセールに行ったときに
このイベントの事を知って、前売り券を買い
楽しみに待っていました。
内容は、アウトドアアクティビティーからクライミングやマウンテンバイク
自然に関するドキュメンタリーなど様々なもので
様々な国から集められたフィルムの優秀な作品を上映するもの。
くわしくは↓
Banff Mountain Film Festival
特に、今年の作品の中で楽しみにしていたのは
RED GOLDというアラスカのブリストル湾で鮭の生息域での
Pebble Mineという金鉱山の開発に焦点を当てた
ドキュメンタリー作品。
REDGOLD
内容については是非、見て欲しいので触れないでおきます。
それぞれのシーンに出てくる、アラスカに暮らす人々の雰囲気、周りの景色、
シンプルなライフスタイル。
周りの人にとっては遠いアラスカの自然に迫る開発の危機でしか
無かったかも知れないけれど、
しがらみでいっぱいな今の自分の状況のせいなのかは
判らないけれど、懐かしさにぐっとハートをつかまれ
見終わった後は嬉しかった。
東京の上映は終わってしまったけれど、
もし、近くの場所で上映されていたら是非、見に行ってみてください。
ちなみに08年の作品も、
パタゴニアの東京のそれぞれのお店で上映があって、
刺激になるだろうと仕事が終わった後や休みを合わせて
はしごしました。
ここでも、ある作品が動物学者とオオカミの群れの出会いを
作品にしていて、その群れはカナダ西海岸で遡上してくる
サーモンの群れを食べて、ずっと暮らしてきた群れだった。
偶然とはいえ、サーモンの太平洋における生態系への
関与の大きさとこのフィルムに出会った自分の縁のような
サーモンに関わり続ける不思議な幸運に2つ驚いた
幸運といえば、もう一つ。
それぞれのお店の抽選でpatagoniaとSIGGの協賛で
SIGGボトルをもらいました。
滅多にあたらない自分にしてはめずらしく
もらえました。
このボトル「花咲かじいさん」です。
冷たい飲み物を入れると温度差で
気に緑が戻って、山が出来て鳥が舞います。
宇宙へ
公開中の映画、「宇宙(そら)へ」を
先週、ワンコインキャンペーンと500円で見られるというので
見てきました。
仕事を終えて急いで、映画館に向かい
さっとコンビニで食事を買いつめこんで済ませて、
いざ宇宙へ!!
「宇宙(そら)へ」
映画自体は、宇宙開発の歴史をさらっと流れをなぞる程度の内容で
ロケットがまともに飛ばない時代の映像から、アポロの月到達、
そしてスペースシャトルの登場と、チャレンジャーの爆発事故
コロンビアの焼失など現代に至る。
宇宙の不思議さや、挑戦しようとするアストロノーツの人間物語などは
なく、本当に起こったことをなぞっていっただけの内容だった。
宇宙の映画として期待していた見た人にとっては、ネットでの評判はイマイチみたいだけれど、
それでも、物心ついたときには人は月に降り立った後だったし、
スペースシャトルは宇宙から帰ってきた映像を見て育ったぼくにとっては、
繋がらない断片的な宇宙開発の歴史を一つでさらっとまとめてみられたことは
良かった。
ふと、思ったのだけれど、人類の進歩っていう事で
何か新しいことを人類が初めて挑戦したときから、その過程が詳細に記録が残っている事って
歴史的にも無いんじゃないかな?と思って帰ってきた。
いろいろな歴史の出来事にも様々な記録は残っているけれど、その
信憑性は一方的な記録の残り方だったりすると思うと、疑問が残る。
もちろん、この宇宙開発にも60年ほどの時間が経ったけれど
残念ながらこの人類の進歩を最初からリアルタイムで体験し、
それを自分の言葉で語ることが出来る人は恐らくほとんどいないし、
(生き残っているけれど、今の出来事と昔の出来事を公平で見ることは
出来ないのではないかと仮定した)
おそらく、それぞれの世代の人が僕の体験と同じように、
状況は違っていても、それでも同じようにすでに始まった状態から
体験しているはずだ。
そう考えると、ちょっと前のこととは言え、
何かに新しく挑戦していく人類のパワーについて、それを映像を見るという
行為によって補完体験できるというのは凄い事何じゃないかと思った。
輝き
前に、屋根につけた地デジのアンテナがずれたのか、
近くで建て始めたビルの影響なのか、テレビの映りが
悪くなってきたので、屋根に上がって、ちょっと調整してみたものの
よけいに映りが悪くなってしまった。
そこで、一念発起してアンテナに
スタンドとワイヤーを買ってきてアップグレードした。
ちょっと、予想外の出費で、
半日かけて炎天下の中でいい汗かきながらの
アンテナの取り付けはなかなか骨が折れた。
最初はサクサクっと終わらせるつもりだったけど。
何が大変ってアンテナから、四方に張ったワイヤーの固定も大変だったけれど、
一人で受信の角度の調整をしなければならないので、
屋根の上から今のテレビの画面に映った受信の数値を
みるには知恵を絞った。
結局、姿見の鏡をおいて、角度を調整して屋根の上から見える位置に
置いて、そこに映った数値を双眼鏡で覗きながらちょっとずつ
角度をずらした。
金と手間をかけたおかげで、きれいに映るようになって、みられる放送局も
増えた。
そこで、今日楽しみにしていたNHK SONGSという番組のウルフルズの放送を見た。
先日、活動休止の発表をして、翌日に六本木でフリーライブを行った彼ら。
そのときのフリーライブにはぜひ行こうと、受付開始から必死に電話したけれど
全くつながらず、機会を逃した。必死に仕事を早退する理由を考えていたのに。
しかし、幸運な事に今回の放送ではそのときの様子を放送してくれた。
最初、「おっっっ!これは良かった、ここで見られるぞ」
と思ったが、見ていて何かしっくりこない。
ひたむきに元気のよさが突き抜けた、彼らの良さがまったく感じられない。
ふと何も伝わらない彼らのパフォーマンスをみていて、
そうだよな、活動休止をきめたバンドだもんなと
頭の中で言葉がよぎった。
バラバラなのだ。
彼らはテクニックもいいし、うまくステージをこなしていた。
でも、前に見た彼らの姿は本当に楽しそうに演奏していた。
バンドの中に存在している、気の混じり合いのようなものが感じられなかった。
四人で音を出す事のすばらしさをインタビューでそれぞれは語っていたが、
残念ながら、今回見た放送からは伝わってこなかった。
彼らはこのまま大人になってしまうのか?それとも取り戻せるのか?
それは時間が経てば、わかると思う。
マイケルが、忌野清志郎が逝ってしまい、ウルフルズが眠りにつこうとしている。
理屈をおいても、好きなバンドが一つ休止してしまうのは、寂しいなあ。
レイトショー 2本立て
昨日、今日とレイトショーを見てきた。
映画を見る事自体久しぶりだけれど、
毎日見に行った事何て今までなかった。
でも、レイトショーは安いので見たい映画も重なっていたしと言う事で
「エヴァンゲリヲン 破」
え?と言われそうだけれど、友達に借りたビデオで高校生の時に
夢中になって以来、気になっていたので見てきました。
筋も何となく憶えている程度だけれど、前作のビデオで見たものとは
印象の違った映画になってました。
技術って進歩するんだなあとCG満載の映画を見て
びっくりしてました。
この監督、新しく再構築するなんて言っているのを
どこかのインタビューで読んだけれど、
あらかじめヒットしている作品にさらに良い肉付けがしてあったので
楽しめました。
でも、映画館のでかいスクリーンで激しく動き回るアクションシーンの
迫力のおかげで、話の細かいところを憶えていられなかったのは、
もっかい、家で見ろってことかな?
「レスラー」
帰ってきた猫パンチ。ミッキーロークお帰り。
良い演技でした。
良い映画でした。
例えクズと呼ばれ、帰る家も待っている家族もなくとも
今日も俺は待っているファン達のいる、自分の居場所で戦いつづける。
けっして美化されているわけでもなく、悲しく寂しい現実も描写されながら、
現実と向き合って生きていけない、夢を追い続けるレスラーの晩年の映画。
前に江頭2:50が
「俺のライブに来ている連中の顔を見ると、結婚はおろか恋愛もまともに
出来ないんじゃないかって連中ばかり。
だけど、俺はそういう奴らのためにこそ、お笑いをやりたい」とどこかで、
インタビューに答えていたのを不思議と思い出した。
体もぼろぼろになり、命をすり減らしながら
最後までリングに立つ彼の姿に、夢を追い続ける男の覚悟と
忘れてはいけない現実という二つがラストに結びつく。
両日とも、映画館をでて一人、駅までの道のりを
夜風に吹かれながら、何も考えずに歩く。
濃厚なストーリーに触れたはずなのに
その物語を反芻するのではなく、
ほほをなで、吹き抜けていく
風の感触と、含まれた湿度の濃さを
ただ感じ歩いた。
映画を見た事も、豊かな時間だったけれど、
この夜風と歩いた時間も良い時の使い方だった。