最後に予定していた、サケの採卵調査の同行が終了して
今年の活動が今日をもって終了しました。
結局、ぎりぎりまで撮影してきましたが、時間切れとなりました。
特に怪我もなく、また腰痛とも上手くつきあいながら
たくさんの写真が撮れました。
初めて試みた事やさらに深く知った事。
そして、新たな出会いを経て
2年間苦労してきた事が実を結んだ気がします。
しかし、それと同時にこれから自分が進む世界の
難しさも思い知った旅でした。
単に好きだけでは進めない、
それでも自分にしかできない事があることを勉強しました。
あとは、これを続けていけば、間違いなく苦労が
続く事を判っていながらどこまでやっていけるか。
この旅の先で自分が作り上げるであろう「ストーリー」を信じて
どうにかやっていきたい。
今回も沢山の友達に助けてもらいました。
どうも、ありがとう。
サンクス!アラスカン!!
カボチャの飛行機に乗り遅れると大変なので、
これから慌ててパッキングです。
でも実はまだまだ、明日人に会ったりで、
大忙しで、きっと、水曜日の朝に飛行機が発つ
までのんびりなんか出来ないでしょう。
月: 2008年9月
悩むのやめました。
前回、ちょっとふりかえってみたような事を書いてみましたが、
自分で考えてみると悩んだ「フリ」をしているような気がしてきたので、
やめます。
だいたい、そんな何か言えるほどまだまだ大したことねーよ
と鼻で笑っていいようなもんでしょ。
まだまだ。
「百年早いよ、チミの写真じゃ。ちゃんと何か伝えられるように
なってから悩みなさい。」
と、正直思いました。
結局、うじうじしていても何も変わらないし、
今の自分の状況を考えてみると、まずは
必死に動けるだけ動いて結果をじっくりと待つ。
もちろん前に書いた事は
行動だけでは解決しない、これから真剣に考えなければならない事。
でも、こうも思った。
やっぱり、今写真を撮りながら「ワクワク」している。
自分でどこまで行けるかワクワクしていたい。
そこはこれから何かに気がついても大事にしていたいな、と。
マメに更新していますが、撮影はチョー忙しいです。
毎日走り回っています。
ちなみに、今日は
8時起床。サケの採卵調査に同行。
ボートで移動。水中撮影。
3時半終了。4時トレイルをカメラを満載のザックを
担いで歩く。6時半トレイルをアウト。
そのまま1時間車を運転して町に戻り、
友人のバースデーディナーに参加。
友人宅に行って、そのままケーキを食べ歓談。
えー、11時終了。
今から寝ます。
もうすぐ、帰国だけど下手するとギリギリまで撮影してそうな感じがする。
でも、撮りたい物だらけだ。アヒャー。
at School
今回、偶然が重なって、ある人と出会い
その出会いから、アンカレッジの小学校で
授業で写真を見せてサケの話をする事になりました。
今までの自分の作品が
ようやく形を成し始めた今に、ちょうど
人に見せる機会が巡ってきました。
出会ったチャンスは全て挑むのがぼくのポリシーです。
川旅が終わってから次の日ほぼ徹夜で
スライドを組み、パソコンにスライドショーを完成させました。
未だ、やっと形を成しただけで、
まだまだ足りないことを痛感しましたが、
今の自分でぶつかっていく事しかできません。
エマージョンという日本語で様々な教科を勉強している彼らに
理科の時間を使って、サケの旅を紹介する事になりました。
アンカレジに住む小学生たちに自分の今までの
時間で表現してきた物をぶつけてきました。
結果は、それぞれになにかを感じてくれたようで、
まずは最低限の仕事は果たせたかなと帰ってきました。
しかし、第二言語の日本語でどこまで伝えられたかは
判りませんが、時として写真は言葉を必要とせず、
なにかを伝えてくれると信じて今までやってきました。
こちらの子はなにか質問があるとすぐに手を挙げて
質問してきます。
何より、まず今までずっと撮りためてきた写真達が
形を成してきた。
そして、その作品達がいよいよ外の世界に出すべき時が
来たんだと実感し、その充実感が今まで頑張ってきた
自分に報いてくれました。
そして、それと同時に今まで走り続けてきた
自分に対してシンプルな疑問が一つわき上がりました。
「なぜ、日本人のおれがわざわざ アラスカでベニザケの旅を追いかけているのか?」
シンプルで、皆が一番最初に聞く質問でありながら、
自分では今まで一度も考えなかった疑問。
自分なりのアラスカ見つけて、そのストーリーを追いかけたい。
そこが自分の原点であり、そしてその中で見つけたのが、
サケの旅。
いままで、特にサケに興味を持った事もないし、
まして釣りをするわけでもない。
アラスカを嫁さんと初めて旅した時に、
サケの命をかけて必死に戦う表情に驚かされた。
そしてキーナイ半島を旅する内に
全ての生き物たちがサケと関わって生きている事を知った。
言い換えれば、広大な土地の全ての生き物がサケたちが海から
帰ってくるのを待ち望んでいる。
そして、繰り広げられる
「次の生への為のいのちをかけた戦い」
一つ一つの場所を自分が旅するうちにその事が
ぼんやりと判ってきた。
その全てを自分の中に取り入れて表現してみたい。
この衝動こそが今までやって来た原動力。
自分を全てぶつけてもまだまだ足りない。
まるで何かに飢えているかのようだが、
その飢えにぶつかっていく充実感だけが自分を満たしてくれた。
そして、そんなわがままをもしも作品と呼べるのならば、
その上で自分を表現して生きていたい。
今まで自分の飢えを満たすためにやってきた結果である
自分の「作品」たちを初めて今回
何かを伝えるために使った。
そこで知った今まで自分の稚拙さと
と同時に自分にしかできないことがあること。
これをやっていく事はお金でも名誉でも自分の未来の為でもなく
何か自分の純粋に知りたいと思う心のためだという事。
そして、それを成し遂げるためには莫大な代償をこれからも
払い続けなければならない事。
「なぜ、日本人のおれがわざわざ アラスカでベニザケの旅を追いかけているのか?」
その質問に対しては
「自分の飢えを満たすため」
が答えではなくなっていた。
まるで何かを失ったかのように今、自分にはこの質問に対する答えが無い。
しかし、失ったのではなく、きっと何かに気がついたのだ。
その答えは言葉に出来ないが、きっとこの先言葉に出来る。
帰国まで残り1週間。
未だ撮影は続いている。
今回、自分の写真がまた一歩進んだ気がする。
この1週間でどこまで、自分を燃やせるか
その灰にこそ、次の芽吹きがあるはずだ。
keep running on an empty.
帰港(2)
前回、エントリを書き途中でタイムアップになってしまい、
その後、追加で書こうと思ってタイトルに(1)なんてつけたら、
そのままになってしまった。
あの川旅のその後は、3日目で大雨に降られてしまい、
4時間近く雨の中で、カヌーを漕ぐ羽目になってしまった。
「朝食を濡れながらつくる奥様」
「ピックアップ時の写真。雨でもはしゃいでいるワタクシ、雨でちょっと冷えてしまった奥様」
旅してきた川は沢山のハンターが入っているエリアだという事は
前に書いたけれど、このエリアはウィルダネスと呼ばれる
施設設備は何もなく、すべての装備を自分で持ち込んで自分の力で
野外で生活しなければならないエリアだ。
アラスカの自然の中に自分だけの力で滞在することになる
(といっても、アラスカはほとんど町から離れて自然の中に入ってしまうと
これにあてはまる。)
そんな中でもやはり身近に人の存在を感じる事がある。
それはキャンプ地に入った時に思う。
原野といえどもカヌーの旅の中ではテントをたてやすい場所に
同じようにみな泊まっていく。
そんな場所は獲物が現れるまで何日も同じ場所で待つ
ハンターにも使いやすくて
なかには手の込んだ見張り台を立ててあったりして
びっくりしたりする。
(写真にあるのはムースの角と頭骨で作ったムースを呼ぶための道具)
キャンプ地に入った時にいつも共通で目につくのは
何もない中で、どこでも必ずファイアーピットには次の人のために
火がおこしやすいように薪が用意してある
原野では何かあってもまず、何より焚き火で暖がとれるのが一番だ。
体も温まるし、料理も出来る。
人の姿の見えない原野で誰かが次の人の為に
薪をあつめてからキャンプを後にする。
そんな人の思いのつながりが
人の見えない原野で同じファイヤーピットをつかうことで
つながっている。
帰港(その1)
無事帰って参りました。
旅の様子をちょっとお話しします
ボートピープルのカヌーです。
ドライスーツに三脚。
カメラにハウジングとムキにならないでのんびり川旅を楽しむといった割には
大荷物です。
いざ、出向出航!!
途中、ビーバーの巣を見つけました。
こちらでは「ビーバーロッジ」と呼ばれています。
日本でもダムを造る事がよく知られていますが、彼らのこの習性のおかげで
こちらのカヌーイストからはとても嫌われています。
彼らが大量の木を流してダムを造り、川をせき止めてしまう
おかげで川を下っていると突然、ダムが出現し、
スタックしたり、あるいはカヌーを引きずり上げて
ダムを乗り越えなければならなかったりと
とても不評です。
水草と川面の美しい川。
このエリアはナショナル レフュージという
ハンティングの許可されたエリアで、ハンティングシーズンの今は
ムースの多いこのエリアには沢山のハンターが
必死になってムースを探しています。
でも、今年は気温が全体的に低く、ムースにとっては暑さをしのぐために
水場に出てこなくても、すずしくすごせるようで、
水場に出てきたところを狙いたいハンターの思惑がなかなか
当てはまらず、今年はハンターにとっては
苦戦の年のようです。写真のハンターも「まだだー」なんて
言いながら通り過ぎていきました。
ハンティングとは関係ないけれど、やはりなんだかんだと言いながら、
ぼくもフィルムにムースの姿を収めたい。
前からいろいろとこまめに地形の情報や、以前ムースを目撃した場所など
事細かに奥様が地図に記録してくれているので、
そこからこれから起こるであろう、遭遇に胸が高鳴ります。
一番聞かれるのが食事の事。
川から上陸して、簡単な手間で非常においしいという
すばらしい食事をとります。
ちなみにベアカントリーなので、面倒くささと安全性の中間点をとって
臭いが漏れないようにバックに詰め、キャンプ地の離れた対岸に
食料は置いて寝ます。
下の写真は朝、食料をとりに行く様子。
川旅へゴー
ちょっとした運の悪さ
南下して撮影に望もう!と思ったとたん、
さっそくお休みになりました。
あれから、南下して遡上の始まったシロザケとベニザケを
合わせて撮ろうと潜った所、何故か右腕から浸水。
そんな理由で水から上がるのももったいないので、
寒さを我慢して撮影続行。
手首のゴムの部分がねじれていたので、きっと
そこが原因だったのだろうと納得して、
次の日もまた潜ってみるとまた同じ部分から浸水。
よく調べてみると、このまえ取り替えた手首の接着が
剥がれかけてそこから浸水していました。
結局、アンカレジまで戻ってその日の内に接着修理。
翌日はいざ、撮影!と意気込んだところで、暴風・雨強し。
とても撮影どころではないので、幾つかのポイントをチェックしながら、
更に南下して、結局友達のキャンプグラウンドに非難してトレーラーで休む事にしました。
暖かい室内にほっと一息ついて、濡れたドライスーツを干そうとカーテンレールに
手を伸ばした時、グラッとバランスを崩して、
慌てて手をついた先が窓。
ガチャン。と見事に割れました。
と、このエントリを投稿してたら、頭の上をワタリガラスが
バカにしたように「カポロン、カポロン」を鳴きながら
飛んでいきました。
アラスカのネイティブの神話ではこのワタリガラスはこの
世界の創造主となっていて、神の使いとされています。
ここ、数日の運の悪さはどこかで誰かにいたずらされているような
そんなことがつづいています。
まるで、今のワタリガラスが「その通り!」と言ったかのように。
アンカレジ
昨日、今日とアラスカの大都会、アンカレジに戻ってきました。
前のエントリに書いていた今年のデナリの撮影はやめにする事にしました。
やはり、遠い。
それが主な理由です。
僕らのいたキーナイ半島からだと、デナリ国立公園の一番奥にある
キャンプグラウンド「ワンダーレイク」までは片道ほぼ3日かかります。
そうすると最短で帰ってきても1週間の日程をデナリで費やしてしまう事になり、
滞在して撮影出来る効果を考えた場合、とても移動にかけた時間ほどの
成果は得られないということで、やめにしました。
古来言うように、「二兎を追う者は一兎をも得ず」
今年は文字通り、ムースの事は少し置いておいてということになります。
しかし、そうなるとムースの撮影用にもってきたフィルムが余ってしまう。
どうやら、今回はサーモン用に用意していたデジタルが大活躍の年に
なりそうです。今だにフィルムで撮影していたぼくにとっては
デジタルの洗礼を浴びた年です。
だいぶ使い込む事で撮影の時でのデジタルの利便性が判ってきました。
あまり書くと長くなってしまうので、ひとつだけ。
それは「レスポンスの早さ」です。
何より、その場ですぐ確認出来る。一番言われていることかもしれませんが、
現場で自分でイメージして、画を切り取りすぐに確認する。
そうすると、そのイメージから更に次の画をひらめいてというように
現場でのステップを更に一つ進める事が出来ます。
同じ写真を二度取り直す事は出来ないけれど、
さらにもう一つのイメージを湧かして先に進む。
ぼくはこの点が一番自分にとってのメリットでした。
デメリットをいうと、ズバリ「充電」です。
リチウム電池の充電のため、車にはDC-ACインバーターは必須です。
これは結構大きなデメリットです。
さて、細かい話は脇において、
物資の補給も済んだので、また南下してサケの撮影に戻ります。
「霧の町 スワード」
くたびれてもいますが、
いっちょキノコでもたべてここは元気をだして。
でかいキノコ。スーパーマ○オ?
そうそう。先日やっと初ステーキを食べました。
アメリカはやはりビーフが安い!!
キャンプで上手くフライパンに焼いてくれました。
名シェフヨメはここになんと「赤だしみそ汁」をもってきました。
素晴らしい!コンビネーション。
やはり日本人は外国に来るとみそ汁が恋しくなるといいますが、
もうワンステップアドバンスで、赤だしは最高です。
ビーフと良く合う。
明日の風
書く事は毎日毎日同じなので、
特に変わりもなく鮭の事です。
Kenai半島で恐らく最後に撮影に
なる川に移動してきました。
今年はこの川は当たりのようで、沢山の鮭が産卵しています。
昨日、ついに産卵の瞬間を撮りました。
必ず必要だと思っていた重要な1シーンだったので、
まずはほっとしたのが正直なところです。
とりあえず、一通りの流れをすべて押さえる事が出来たので、
ここからが本当の正念場となります。
と、いうのはそれぞれのシーンに後は自分のアイデアを
盛り込んでどれだけ発展させる事が出来るか。
まさに、写真家としての全てが問われる事になります。
そう、まさにここからは燃える情熱の全てをぶつけて
いきたいとおもっています。
あと何日間鮭たちの命が持つか判りませんが、
彼らの燃え尽きるまでの生き様をしっかりと記録していきます。
いつ、彼らの命がつきるのか判らないので、ここからは
全く予定が立ちません。
本当はDenali national parkに行こうとも思っていたのですが、
ここに来て迷いが出ています。
このまま、ここにいて鮭の命を見届けるのか、
それともムースの撮影に移行していくのか。
鮭の命もDenaliに行って帰ってくれば尽きているでしょう。
Denaliは鮭の命が尽きる頃には冬が来てクローズになってしまいます。
時間は2度と取り戻せない。
ヨメ市長の町作りは、古代、江戸ときて今は昭和の高度成長期のようです。
何故か町の中にバベルの塔と5重の塔がある不思議な町並みです。
しかし、高度成長期名物、公害に悩まされていて
支持率が3%と伸び悩んでいるようです。
「どげんかせんといかん」
とかいいながらやってます。
まあ、支持率の低さからいくと森喜朗なんだけど。