ミリ単位で進め

全く違う事で日々忙しいだけで、何が進んでいるのかは
判らないけれど
それでもちょっとずつでも前に進んでいく。
そんなイメージのぼくの活動も
すこしずつ進んでいます。
もう少し、余裕ができたら、報告しますね。
光明なんかみえねーぞと言いたいけれど、
良い事もありました。
きっと振り返ってみればそんな感じかも知れません。
今は。
ちなみにスーパー銭湯は見事に行きそびれました
家で入浴剤と夕方の昼寝が精一杯でした。
とほほ。

行間

いつも、土曜日の仕事が終わると急いで家に帰る。
決して週末をのんびり過ごすとかではない。残念ながら
日曜日も仕事だ。好きな事をしながらお金を稼ごうとすると
どうしても、人が働かない時に働くのが一番効率よく稼げる。
まあ、そんな事は置いておいて、どうして早く帰るかというと
夜10時からテレビ東京で放送されている
「美の巨人たち」というテレビ番組を見るためだ。
今まで絵については興味が無かったけれど、この番組は30分
番組の中で毎週一人、画家の代表作とその背景について
紹介してくれる。
もちろん時間に限りがあるので、ほんのさわり程度でいつも
終わってしまうのだが、その軽さがまた手軽で良い。
一日働いて帰ってきて、さらにヘビーに掘り下げた番組は
残念ながらパスだ。
おまけにここが気に入っているのだけれど、
なんと言ってもほぼ系統無しに画家が毎週次から次に
紹介される。
誰かに教えてもらいながらだったりすると、どうしてもその教わる人の
好みの系統に集中してしまいがちだったりするけれど、
この番組は手軽な事が何よりの良さだったりしている。
この番組の中で紹介される代表作の背景に存在する
エピソードはさらに濃厚な味の奥行きを深めてくれる。
いわゆる行間というやつだ。
前に、ある写真家から「写真家が語らなければならない
写真など全くの無意味だ」と言われたがあった。
まあ、もちろん僕の写真をけちょんけちょんに言われた
後だったので、僕の写真について未熟だと言いたかったのだろうけれど、
やはり、その言葉には引っかかるものがある。
不思議な事に写真という表現方法には
作家には何故かストイックな沈黙を求められるような気がする。
逆に、絵を描く画家にはもっと雄弁であるべきとされているように思う。
僕は作品の行間の暖かみが写真にもぬくもりを
与えてくれるようにも思うんだけれど。

ごちそう

さて、新しい一年が始まりました。
仕事の忙しさの中であっという間にクリスマスを通過し、
そして気がついたら12月31日で一時停止して、
そこから2日間ゆっくり休み。
ふたたび仕事に復帰してあまり実感のない新年になってしまいました。
何だか年をとる毎に正月がどんどん忙しくなっているみたいです。
こんなものなのでしょうか?
さて、ここで一発新年の抱負でも述べたいところですが
いつも抱負を掲げても3月には忘れているので、
あまり気にせずこつこつとやっていく事にしました。
一発屋のぼくにしたら充分な目標ですが。
で、2日間のんびり休めたのでその間に久しぶりに
カメラを引っ張り出しておせちをパチパチ撮ってみました。

食事に色とりどりで華やかさをつけて、さらに美味しくて
体にも良い食文化。
日本の文化って素敵だなと改めて実感した
今年の正月でした。

したたかさとそのバランスと

最近、図書館で本を借りて読むようになりました。
前は借りっぱなしで返さない自分のだらしなさを
思い知るのが、いやでこの何年も足が遠のいていました。
(なら、返せば良いんだけど。)
この所、沢山読みたい本があるんだけど、
それに充てられる資金は決して潤沢ではないので、
自然とそのリストが長くなっていってしまうという
ある意味思考停止のような状態が長引いて
いたのだけれど、ふっと図書館の存在を思い出し、
考え方を変えてみれば、好きな本が読みたいだけ読めるぞ。
という事に気がつきました。
そこで、最近何冊か借りてきました。
中には
「決闘写真論」篠山紀信・中原卓馬
のオリジナルがあったりして、これは中古で買っても
7千円くらいするので、これはラッキーとばかりに
いろいろな本をリクエストした。
しかも、今の図書館のシステムはオンラインで検索・予約が
できるので、さくさくとリクエストした。
タダで読めるぞ、しめしめと思ったけれど、
人気の本は順番待ちがあって、
山口県光市であった母子殺人の事件の被害者のドキュメンタリー
「なぜ君は絶望と闘えたか」門田隆将
は340人近い人が列を成して順番を待っていた。
もちろん僕もこの列に加わったのだけれど、
今日、この本を本屋で見かけて、
値段をみてちょっと考えてしまった。
それは、1300円という値段だった事だ。
もちろん、タダで読めるという事で
図書館というアイデアに飛びついたのだけれど、
しかし、そこだけで良いのだろうかとも考えた。
もちろん、本を読む事で自分に対する何かをもらうわけだから、
お金の事で引っかかって思考停止のように先に進めないことは
何の意味もないけれど、
それでも自分にとって何か価値のある物をもらえる事が判っていて、
尚かつその価値にはお金をはらえるだけの尊さがあるのであれば
支払うべきなのではないかと思った。
それこそ、まさに自分が人に訴えようとしてるプロセスでもあるからだ。
読んだ人のレビューなどからこの本が
良書であるだろうことは推察出来た。
この本を手に取るのならば、この本を送り出してくれた筆者に
お礼をするべきだろう。
その金額は今の自分には払える金額だ。
当然、今の自分は全ての読みたい本にお金を支払えるような余裕はない。
それでも、自分は「これ」と思った物にお金を払う。
例え今回のようにそれが10回のうち、1回でも
間違ってない範囲の中でのしたたかに上を目指す方法を
考える事と、そこだけにとらわれない正しい視点を自由にもてる事。
バランス。
技術とハート
写真を撮る時に最近感じている事も同じ。

帰国後、ばたばたとしていると言うよりは、
方向の定まらないままいろんな事に手を出して
忙しかった日々をすごしていました。
今回の撮影についてはまだ完全に振り返る事が
出来ていません。
やっと仕事にも戻り、社会復帰を済ませ
まっとうな人間の社会の一部として、ここ1ヶ月ほど過ごしてきました。
ようやく体がなじんだような感覚です。
幾つか書こうとも思った事もありますが、
そんな事を思っているうちに鮮度を失い、そのまま
このブログへの想いだけが意識の片隅にぷかぷかと
漂っているうちに今年も残りわずかになりました。
では、この所の近況を。(備忘録の意味もこめて)
先月も雜賀雄二氏のワークショップに参加しました。
写真という表現方法はあらかじめ見る人をどうしても、限定してしまう表現方法です
さらにアートといわれるの写真作家が作り出す写真の世界では
そこにさらに一ひねりを加えて難解にするような方向性というのは
ぼくの考えている世界とはちょっと違うような違和感を覚えました。
もっと今生きている人に伝わるというか、もしくは
息をしているようなものにしていたいと思っています。
そこで言うとこれも一つのいい勉強なのかなとも思います。
(しかし、モノクロームのオリジナルプリントの美しさには息をのみました。
その様子はまるで、対峙しているときにまるで静けさが光の粒子となって
自分の周りを漂っているような感覚になります)
最近、本を良く読むようになりました。
このところ、一年くらい精神的に余裕が無く、本なんてとても読む気がしなかったのですが、何故か最近無性によみたくなりました。
(電車の通勤時間が固定になったのも関係あるか知れません)
最近読んだ本を
「レバレッジ時間術」本田直之
時間を作るのが下手なので、勉強になるかなとも思って
書店で平積みから手に取りました。
再現性を持たせて習慣にしてしまう事で、
無意識に行動できるようになり、その分考えなくても体が動くので
他に思考を回せたり、脳を休めたり出来るので
いつも何か考えて余裕のないぼくにとっては参考になりました。
「動物記」新藤冬樹
前にハードカバーを見て以来、文庫を待っていた。
3編に別れていて、1章目は特にアラスカのクマについての
ストーリーだったので、
日本人が描く動物に関するフィクションを楽しみにしていた。
いろいろ実際の地名が出てきたけれど、地名だけで
その場所が全く違った様子で描かれていたりすると
急に話が色あせてしまった。
当時は売れていたけれど、よんでみたら何だか期待はずれ。
「クラッシュ」太田哲也
レーサーの著者が事故からの生還を書いた本。
人間って死ぬ寸前まで行かないと
振り返られない事ってあるんですね。
体の再生だけでなく、魂の再生についての
記述も面白かった
「ノルウェイの森」村上春樹
10代の終わりに夢中で読んでいたけれど、
ある時突然ぱったりと彼の本を読まなくなりました。
最近急に読みたくなり、引っ張り出して読んでみると
当時の自分とは違った視点で読めた事が意外だった。
ああ、自分も年を重ねてきて、多少経験も積んだんだなあ
感じました。
しかし、当時読んだあのころのぎゅっとなるような心のふるえの様な物
は感じられなくなってしまった事にも驚きがあった。

やっと

家にネットが開通しました
長かった・・・・
やはり、ないととっても不便です。
いろんな物を調べようにも、メール一つ送るのでも
非常に不便です。
せっかく繋がったからと言って、
どっぷり浸かってしまっては意味がないので、
まずは必要な事しか調べない!
ついつい余計な物を調べて時間をつぶさないように
しっかりセルフコントロールしていけるように
仕事も始まり、休みも少ないので
来年に向けて今からいろいろ始めないとね。

遠足の前の子供なのか

いよいよ準備も大詰めにさしかかり、
取りこぼしの無いようにしっかりリストアップした内容
を終わるたびに一つずつ線を引いて消しながら、準備しています。
次第に引かれた線の多さとともに
終わりが見えてきた事への安堵感か
だんだんと追いつめられた気持ちが少しゆるんできました
もちろん、これはいつもの悪い癖で、ゴールテープ寸前で
後ろから走ってきたランナーに抜かれてしまうマラソンランナーのように
「油断」という2文字が頭をよぎります。
しかし、この2日ほど何となく、気が緩んでいるような
あるいは、ふっと気が抜けているような
不思議な力の抜け方をしています。
まあ、恐らく疲労がピークに達しているのは間違いないのですが、
リラックスしているのではなく、
気は張っているのに、不思議と「まあ、いいか」というような
ユルさを感じていて、ちょっと戸惑っています。
と書いても、まあ不思議な感じです。
遠足を待つこどもの様にドキドキしているわけでもなく、
また、不思議と今日もすんなり眠れそうもない

気が流れています

通勤電車では座ったとたん
気絶するように眠ってしまうくらい疲れております。
しかし、人間って結構気の持ちようで
そのくらいの疲労ははじき返せるんですね。
と言う事は、もしかしてちょっと疲れているだけで
全然普通の人からしたら平気なレベルを自分が
「勘違い」しているのか?と
最近つまらない心配をしてみたりして
で、最近気になっているのが、
何故か左足のかかとから、
ぼや〜っと暖かい何かが
流れ出ているような感覚を良く覚えるようになった
まるで、追い炊きの風呂の循環して暖められたお湯
を手で触れた時のようにじわ〜〜っとします。
何かに座っているときにかんじます。
しかも、何故か左足のかかとからしか
この感覚は感じない。
これが、手のひらとかだったら
「おお、奇跡の手!ゴッドハンド!!気が流れ出ているぜ!!」
とかいえるけど、
「奇跡のかかと」とは、、、、言えないよなあ

箇条書き

この所、いよいよ出発に向けて時間が詰まってきているので
ますますテンパっているので、
箇条書きにしたいくらい忙しいでございます。
先日、飛行機に乗り遅れるという大失態を人生初で
やらかしたあげく、
アラスカで大事な物を日本に忘れてきて
大ピンチという夢を見ているので、
どうやら完全に追い込まれております。
とりあえず、明日は仕事の前に
フィルムカメラ用のエネループを
買いに行かなければならないのと
ヤフオクで売った愛機PS2を発送しなければならないのと、
それから仕事に行って、休憩時間にサージミヤワキに
電柵の事を問い合わせてみないとならないのであります。
しかも、水中用のフィッシュアイも受け取りの都合上
日曜日に受け取りたいので、夜に発注を出さなければ
間に合わんとです。
うっひー
とりあえず、コピーロボットが欲しい。
アマゾンで売ってないかな?