さて、いつまで
おせちなんだ!!と言っているウチに2月になりました。
日常業務で他の仕事に気を取られていると
もう一つのわらじのこちらを忘れてしまうこともあります。
先日、21日をもってついに「34歳」になりました。
夢を追った青年から
夢を忘れられないおじさんと
呼ばれても、おかしくないそんな年になってきました。
まわりの年の近い友達と話をしていても、
子供の話になったり、家を買ったりと家族の愚痴をきいたりなど
いろいろ話を聞いていても、どうにも「守り」に入ったような言葉を聞く日常に
どっぷりと浸かっています。
さて、去年の事故でどうにも機材を失って以来、なんだかどんよりとした日常でした。
あんまりブログに近寄らなかったのはそんな心情もあるのかもしれません。
気合いで夏はのりきったものの、冬に日本に帰ってくると夏の準備のために
いろいろ考えるのですが、どうにも機材の費用の話が必ず頭をよぎり
先には進めない。
もちろん、考えても仕方ないのですがそうそう割り切れる物でもない。
そこが、正直なところでした。
しかし、心情とは別に自分の人間的な成長もあったんだなと感じたりする中で、
いろいろと自分の周りにいる人々に目を向ける機会にもなりました。
すると、自分の周りにいる人生の先輩たちに共通するキーワードは
「情熱」
でした。
もちろん、暑苦しい情熱は持ち合わせた僕のことですが、
自分が熱く燃えていた頃は気がつけなかった
周りの情熱の温度というものを感じるとともに、人生の大先輩たちが
遙か先を歩きながらも「情熱」という言葉を使うことの
大きさに目を向ける機会にもなりました。
自分の温度が今、下がっていることには気がついています。
だからこそ、「情熱」というものが周りに伝える熱を感じることができました。
その熱は周りの人にぬくもりを与え、人を動かす力になっていく。
だから、夢は一人で叶える物ではない。
そんな風に今は思っています。
「夢」という物に立ち向かう力になるものが「情熱」である。
あるいは人生に置き換えてもいいかもしれません。
そう思ってきた、今までがありました。
そして、周りを見渡せるようになりつつある自分の視野に見える物は、
情熱というのは一つではないということ。
今は情熱というほどの根拠はないかもしれませんが、
「意地」というものでへばりついて今をやり過ごしても
好きな自分を追い続けたいと思います。
そして、わざわざこんなバースデーの記録を書いたのも、
これからも年をとっていく自分にむけてこれを書きたかったからです。
「かっこつけるな、泥にまみれろ、おれはお前を知ってるぞ。」
どうしても、いろいろ格好つけてしまう。 何かたいそうな事を書こうとすると
ブログの筆も止まるってもんです。
わすれんなよって。
カテゴリー: 日常のことば
今年もよろしくおねがいします
少し、日が経ってしまいましたが
どうぞ、今年もよろしくおねがいします。
昨年はどうにか、いろんな事から這い上がろうと
様々なチャレンジを繰り返し、少しの成果と
何となくの前進、そして機材を失うという
まだまだ道の途上の己を知った一年でした。
これも先に進もうという意志があるからこそ、
前に向かっているからこそ、
何かが起こるという「人生」であると
下を向かず、前に進んでいきたいと思っています。
さて、まずは今年のおみくじを
備忘録の意味も込めて書いておこうと思います。
末吉
気持ちや決意が揺らぎ、迷いの出る年。
知恵と意地で、孤独に耐え自分一人で目標を描き
進めていけ。
他人はあてにならない。
ひとり合点が強すぎるきらいがあるので、つねに反省し
大事に向かうのではなく、小事を解決し
攻めの気持ちではなく、受けの気持ちで余裕をもって
事にのぞむことが大事。
あざっす
今日、無事退院しました。
今のところ、後遺症も問題なさそうな感じです。
処置が早かったおかげという先生の話でした。
しかし、この後遺症については脳の問題になるようで、
今のところ何が引き金になるか解っていないとのこと。
この先、何か変な事言い出したら、「あっ後遺症だ」と思ってください。
娑婆にでてみると、
毎食500キロカロリーの連日罰ゲームの食事にならされた胃は
さっそく、昼飯のボリュームに驚き、夜になってもおなかがすかず、
帰り道で電話しながら歩いていると息が切れ出すという
3歳児以下の体力で、さっそく世間に出るのは大丈夫なんだろうかという
一抹の不安がよぎりますが、ぼちぼちやっていきたいと思います。
みなさま、ご心配おかけしました。
どうにか帰ってきました。
それでは、今年も残り少ないですかヨロピクお願いします
近況 お騒がせしました
ご無沙汰してます
アラスカ後、ロクに更新もせず放置しておりましたが、久しぶりに書きます。
一部の方にはカミさんのつぶやきでばれていますが、今、入院してます
まー、普段のぼくを知る人からしたら
「え?」とビックリするところでしょうが
簡単に言うと「一酸化炭素中毒」と言うやつです。
まー、何とも恥ずかしい気分ですが、
なっちまったものはしょうがない。笑
カミさんが鉄風炉というお茶で使う火鉢なものをもらって来ました。
ここ最近、それで鉄瓶に炭でお湯を沸かして飲むのを楽しみにしてました。
寒いので暖もとれますしね。
簡単に言うとコイツが原因です。
夕方、火を点けたままうたた寝したあと、仕事から帰ってきたカミさんとお茶を飲み、(カミさんがこの辺りでmixiでつぶやいてる)
それから晩飯を食べ始めると風邪のひき始めのような頭痛がし始め、吐き気がし始めたので、立ち上がったところで、
オリョ?オリョリョ?
となったら後は床にひっくり返ってて、カミさんが救急と電話で話している声でうっすらと目が覚めた感じです。
何となくドアに手をかけたあたりまでは覚えているんですが、ガラス戸に突っ込むのはマズイと何とか後ろに引っくり返ったようです。
目が覚めた後は、ずっと冷静で自分が引っくり返ったことも理解できたので、打った体の痛みは無いか探したり、カミさんに脈をとってもらうように頼んだり、救急隊がきた時に意識がなかったら困るので、自分のコンディションを伝えてもらえる様に要点と経過をまとめて伝えたりと引っくり返ったままできることをしてました。
(人間って結構、忘れないもんですね。昔ガイドの仕事をしていた時に学んだ救命救急のイロハが色々頭に浮かんできました)
そこからは、初物尽くしです。
初ストレッチャー!
結構重心高いです。救急車への積み込みがスムーズなのに軽く感動。
初救急車!
車内の装備をマジマジと観察出来ました。
搬送もあったので、都合二台乗りましたが、レイアウトは同じでも色々個性があって面白かった。「お産セット」なんて積んであったりしました。
ウィンカーや救急ランプの動作が車内のランプでも確認できるようになっていて、走行中もさすがプロといった感じで最低限の荷重移動で負担はほとんど感じませんでした
初救急外来&ICU
これはドラマの世界です。点滴を打たれ、血を抜かれ、皆さん手慣れたものでした。
看護師さんの頭の回転が早くてとてもキビキビした印象でした。
実はここで検査するまで、呑気にしてたんですが、血中の一酸化炭素が30%くらいあったらしく、通常は0.5%くらいで、喫煙者でも1%くらいだそうでこの数値でケロっとしているのはオカシイと先生にはハッキリ言われてから、アッサリ入院する羽目になりました。
そこからは、魚雷発射管のような加圧酸素治療器に入る治療と戦闘機パイロットのような酸素マスクを常時身に付けるだけで特にすることもなく、今日一般病床に移されました。
一酸化炭素中毒は時間経過で症状が出ることもあるらしく、この魚雷発射管治療とパイロットごっこはしばらく続けなければならないようです。
ICUにいた頃は看護師さんたちの会話を聞いて内容を推測したり、モニター装置の読み方を教えてもらったりと色々面白い事もありましたが、明日からは退屈しそうです。
そんな訳で、昼間寝て眠くないので
困っている困った病人です。
カミさんがいなかったら、アウトだったかもしれないと釘を刺されましたが、意外と侮れないようです。
炭を部屋で起こす人は少ないかもしれませんが、五時間くらいは身体に一酸化炭素は残るようなのでご注意ください。
匂いも、気配もなく急に「アラッ?」と引っくり返ってお陀仏です。
恐ろしいもんです。
これに学び、しっかりと換気をして
鉄風炉を使おうと思います。
御心配をおかけしました
特にカミさんには。
いろいろありがとう。
【業務連絡】 メールアドレスの変更
業務連絡になります。
このたび、grasslizard@nifty.comのアドレスを解約し、
gmailに移行します。
10年以上使ってきたアドレスになりますが、
思い切って解約しました。
9月末日までは機能しますが、それ以降は新アドレスになります。
ほとんどのみなさんにはすでにgmailを使用していますが、
まだ知らないよーという方がいらっしゃいましたら、
ご一報ください。
旧メールアドレスでも、このブログにでもかまいません。
それでは、引き続き宜しくお願いします。
一本目とうにゅう
夏休みフォーエバー
さて、
いよいよ、気持ちを入れかえて
準備を始めましょうか。
仲間の笑顔というものは、時として
何よりも背中を押してくれる力になるものですね。
それぞれの人生があって、
そこに一瞬かも知れないけれど、その瞬間は確かに
その場で全員の人生が交わり、点となる。
一瞬交わった点は、光軸を分かちながら、まるで衛星軌道のようにまた、
それぞれの軌道に沿ってスピードに上げ、不確実な人生という天体をぐるぐると回り続けていく。
頑張れ、ニッポン。 頑張ろう俺たち!
報道も一段落して、テレビにもCMが流れ、
原発の放射線量の報道にも、
コンビニのやたら隙間の空いた商品棚にも、
節電で止まったエスカレーターにも、
揺れているのか、揺れていないのかわからない地震酔いにも
スポーツ選手がチャリティ活動をおこない、
ミュージシャンが応援ソングをうたい、
駅前で、大きな声を出して募金を呼びかける声にも、
そんな日常に
なんだか慣れてきました。
自分で、一番怖いことだなと思います。
やせがまんでも、いい
意地っぱりでも、いい
いまここで、頑張ってみませんか?
誰かのために何もできず、だんだんと普通の生活を取り戻し始めている皆さん。
頑張ろうニッポン。
何度もこの地震が起こってから
目にしてきたスローガン。
耳にしたスローガン。
最近、思うんです。
この頑張ろうという言葉は、がんばり続けている被災地の人々にむけたものじゃないと。
被災地ががんばって復興してもらうようにじゃない、
復興できるように、日本の経済が沈まないように。
その分、元気に働けるおれたちが一生懸命「頑張って」働いて日本の経済を支える。
そのあいだ、俺たちがこのニッポンを支える。
だから、頑張る。
頑張ろう、俺たち
俺たちのニッポン。
つまらない、「自粛」なんてものにつられていないで、
自分で考えて、その先に誰かが繋がっていて、
そして、役に立てると自分で思えるのであれば
大人にがっかりしたなら、自分がやればいい。
そんなことを思いながら、献血してきました。
この熱い、俺の血が何処かで役に立ってくれるといいなと。
被災地じゃなくても良いよ
なんだったら、ガロンであげてもいいよ
原発で働く人々が無事家族のもとに帰れますように
職場から自宅待機を言い渡されて、明日、明後日と混乱を避けるために
延長になりました。
家で備えられることはだいたいやったつもりなので、
ずっと流しっぱなしのテレビを見ているだけの一日が終わった。
すこしの買い出しは出かけたけれど、ずっと被害の状況を
テレビで見ながら、それでも何もできずに見ているだけの自分にも
苛立ちがつのるし、先の見えない状況のストレスもあるし、
つねに情報を逃すわけにはいかないと聞き逃さないようにしている状況
にだんだんと夜になるにつれて疲れてきた。
夕方まで、被災した人たちをかんがえると、とても言えないとは
思っていたけれど、やっぱり、「しんどい」
それは、状況だけではなく、みんなそれぞれ、自分なりの意見を声高にさけぶ
ネットの記事を目にしているのもあるのかも知れない。
福島の原発の2号機の状況をずっと夕方から目が離せずに
見守ってきたけれど、そこでずっと作業に携わっている人たちの
事を考えていた。
多少の人為的なミスもあったかも知れないが、
その人たちが俺たちの生活を守ろうと自らを犠牲にして、
ずっと、必死に闘っているその彼らの気持ちを思うと
胸が痛くなる。
きっと帰れない覚悟もしているだろう。
「仕事」という言葉だけでは片付けられない
使命感をもって臨んでいるはずだ。
いろんな意見もあるかも知れないけれど、人のために自らを犠牲にしても
それを守ろうと闘うひとたちの気持ちに応えるには何ができるだろうか?
どうやれば、そういう人たちに感謝の気持ちは届くだろう?
ただ、現場で働く人たちが無事に家族のもとに帰れることを祈ります。