無事つきました。
今年のアラスカの様子は雨量が多く、川の水量が豊富ですが、まだサーモンは上がって来ていない様子。
とりあえず数日は準備と情報収集。
朝から釣りの話で電話が鳴り止まない友達を見ているとアラスカにいるんだなと実感。
投稿者: WildHarmony
2012 今年の旅の始まり
夏っ子
さて、放置草ぼーぼーという感じですが、
もうすぐ夏が来ますね。
いろいろと準備を進めていますが、そろそろ少しづつ
また記事を書こうと思います。
昨年末くらいからはFacebookの簡単記事の更新と反応の良さに
そっちばっかり記事を書いていました。
2012年、今年も冒険のたびを始めたいと思います。
「まだ、行くの?」などと言われますがまだまだ表現したい物も
みたい物もまだまだたくさんあります。
自分の好きなことをやって生きていく。
11年目のアラスカ。
今年は7月6日から10月2日まで。
少しの幸運にめぐまれますように
ブン、ブブン、ブン
オオスズメバチに襲われる、「夢」をみました。
もちろん、夢の中なので痛くないのですが、
あのでかさで大量に囲まれ、首の周りや耳のあたりに
すごい羽音で止まっては刺してきます。
次々刺されるたびに、あっ痛いかも!と思うと痛くない。
でも、囲まれてるから次々刺してくるので、
いつ痛いのか判らない上、ものすごい羽音で
恐怖倍増。
あー、疲れた。
ハッピーバースデー、おれ
さて、いつまで
おせちなんだ!!と言っているウチに2月になりました。
日常業務で他の仕事に気を取られていると
もう一つのわらじのこちらを忘れてしまうこともあります。
先日、21日をもってついに「34歳」になりました。
夢を追った青年から
夢を忘れられないおじさんと
呼ばれても、おかしくないそんな年になってきました。
まわりの年の近い友達と話をしていても、
子供の話になったり、家を買ったりと家族の愚痴をきいたりなど
いろいろ話を聞いていても、どうにも「守り」に入ったような言葉を聞く日常に
どっぷりと浸かっています。
さて、去年の事故でどうにも機材を失って以来、なんだかどんよりとした日常でした。
あんまりブログに近寄らなかったのはそんな心情もあるのかもしれません。
気合いで夏はのりきったものの、冬に日本に帰ってくると夏の準備のために
いろいろ考えるのですが、どうにも機材の費用の話が必ず頭をよぎり
先には進めない。
もちろん、考えても仕方ないのですがそうそう割り切れる物でもない。
そこが、正直なところでした。
しかし、心情とは別に自分の人間的な成長もあったんだなと感じたりする中で、
いろいろと自分の周りにいる人々に目を向ける機会にもなりました。
すると、自分の周りにいる人生の先輩たちに共通するキーワードは
「情熱」
でした。
もちろん、暑苦しい情熱は持ち合わせた僕のことですが、
自分が熱く燃えていた頃は気がつけなかった
周りの情熱の温度というものを感じるとともに、人生の大先輩たちが
遙か先を歩きながらも「情熱」という言葉を使うことの
大きさに目を向ける機会にもなりました。
自分の温度が今、下がっていることには気がついています。
だからこそ、「情熱」というものが周りに伝える熱を感じることができました。
その熱は周りの人にぬくもりを与え、人を動かす力になっていく。
だから、夢は一人で叶える物ではない。
そんな風に今は思っています。
「夢」という物に立ち向かう力になるものが「情熱」である。
あるいは人生に置き換えてもいいかもしれません。
そう思ってきた、今までがありました。
そして、周りを見渡せるようになりつつある自分の視野に見える物は、
情熱というのは一つではないということ。
今は情熱というほどの根拠はないかもしれませんが、
「意地」というものでへばりついて今をやり過ごしても
好きな自分を追い続けたいと思います。
そして、わざわざこんなバースデーの記録を書いたのも、
これからも年をとっていく自分にむけてこれを書きたかったからです。
「かっこつけるな、泥にまみれろ、おれはお前を知ってるぞ。」
どうしても、いろいろ格好つけてしまう。 何かたいそうな事を書こうとすると
ブログの筆も止まるってもんです。
わすれんなよって。
今年もよろしくおねがいします
少し、日が経ってしまいましたが
どうぞ、今年もよろしくおねがいします。
昨年はどうにか、いろんな事から這い上がろうと
様々なチャレンジを繰り返し、少しの成果と
何となくの前進、そして機材を失うという
まだまだ道の途上の己を知った一年でした。
これも先に進もうという意志があるからこそ、
前に向かっているからこそ、
何かが起こるという「人生」であると
下を向かず、前に進んでいきたいと思っています。
さて、まずは今年のおみくじを
備忘録の意味も込めて書いておこうと思います。
末吉
気持ちや決意が揺らぎ、迷いの出る年。
知恵と意地で、孤独に耐え自分一人で目標を描き
進めていけ。
他人はあてにならない。
ひとり合点が強すぎるきらいがあるので、つねに反省し
大事に向かうのではなく、小事を解決し
攻めの気持ちではなく、受けの気持ちで余裕をもって
事にのぞむことが大事。
あざっす
今日、無事退院しました。
今のところ、後遺症も問題なさそうな感じです。
処置が早かったおかげという先生の話でした。
しかし、この後遺症については脳の問題になるようで、
今のところ何が引き金になるか解っていないとのこと。
この先、何か変な事言い出したら、「あっ後遺症だ」と思ってください。
娑婆にでてみると、
毎食500キロカロリーの連日罰ゲームの食事にならされた胃は
さっそく、昼飯のボリュームに驚き、夜になってもおなかがすかず、
帰り道で電話しながら歩いていると息が切れ出すという
3歳児以下の体力で、さっそく世間に出るのは大丈夫なんだろうかという
一抹の不安がよぎりますが、ぼちぼちやっていきたいと思います。
みなさま、ご心配おかけしました。
どうにか帰ってきました。
それでは、今年も残り少ないですかヨロピクお願いします
近況 お騒がせしました
ご無沙汰してます
アラスカ後、ロクに更新もせず放置しておりましたが、久しぶりに書きます。
一部の方にはカミさんのつぶやきでばれていますが、今、入院してます
まー、普段のぼくを知る人からしたら
「え?」とビックリするところでしょうが
簡単に言うと「一酸化炭素中毒」と言うやつです。
まー、何とも恥ずかしい気分ですが、
なっちまったものはしょうがない。笑
カミさんが鉄風炉というお茶で使う火鉢なものをもらって来ました。
ここ最近、それで鉄瓶に炭でお湯を沸かして飲むのを楽しみにしてました。
寒いので暖もとれますしね。
簡単に言うとコイツが原因です。
夕方、火を点けたままうたた寝したあと、仕事から帰ってきたカミさんとお茶を飲み、(カミさんがこの辺りでmixiでつぶやいてる)
それから晩飯を食べ始めると風邪のひき始めのような頭痛がし始め、吐き気がし始めたので、立ち上がったところで、
オリョ?オリョリョ?
となったら後は床にひっくり返ってて、カミさんが救急と電話で話している声でうっすらと目が覚めた感じです。
何となくドアに手をかけたあたりまでは覚えているんですが、ガラス戸に突っ込むのはマズイと何とか後ろに引っくり返ったようです。
目が覚めた後は、ずっと冷静で自分が引っくり返ったことも理解できたので、打った体の痛みは無いか探したり、カミさんに脈をとってもらうように頼んだり、救急隊がきた時に意識がなかったら困るので、自分のコンディションを伝えてもらえる様に要点と経過をまとめて伝えたりと引っくり返ったままできることをしてました。
(人間って結構、忘れないもんですね。昔ガイドの仕事をしていた時に学んだ救命救急のイロハが色々頭に浮かんできました)
そこからは、初物尽くしです。
初ストレッチャー!
結構重心高いです。救急車への積み込みがスムーズなのに軽く感動。
初救急車!
車内の装備をマジマジと観察出来ました。
搬送もあったので、都合二台乗りましたが、レイアウトは同じでも色々個性があって面白かった。「お産セット」なんて積んであったりしました。
ウィンカーや救急ランプの動作が車内のランプでも確認できるようになっていて、走行中もさすがプロといった感じで最低限の荷重移動で負担はほとんど感じませんでした
初救急外来&ICU
これはドラマの世界です。点滴を打たれ、血を抜かれ、皆さん手慣れたものでした。
看護師さんの頭の回転が早くてとてもキビキビした印象でした。
実はここで検査するまで、呑気にしてたんですが、血中の一酸化炭素が30%くらいあったらしく、通常は0.5%くらいで、喫煙者でも1%くらいだそうでこの数値でケロっとしているのはオカシイと先生にはハッキリ言われてから、アッサリ入院する羽目になりました。
そこからは、魚雷発射管のような加圧酸素治療器に入る治療と戦闘機パイロットのような酸素マスクを常時身に付けるだけで特にすることもなく、今日一般病床に移されました。
一酸化炭素中毒は時間経過で症状が出ることもあるらしく、この魚雷発射管治療とパイロットごっこはしばらく続けなければならないようです。
ICUにいた頃は看護師さんたちの会話を聞いて内容を推測したり、モニター装置の読み方を教えてもらったりと色々面白い事もありましたが、明日からは退屈しそうです。
そんな訳で、昼間寝て眠くないので
困っている困った病人です。
カミさんがいなかったら、アウトだったかもしれないと釘を刺されましたが、意外と侮れないようです。
炭を部屋で起こす人は少ないかもしれませんが、五時間くらいは身体に一酸化炭素は残るようなのでご注意ください。
匂いも、気配もなく急に「アラッ?」と引っくり返ってお陀仏です。
恐ろしいもんです。
これに学び、しっかりと換気をして
鉄風炉を使おうと思います。
御心配をおかけしました
特にカミさんには。
いろいろありがとう。
【業務連絡】 メールアドレスの変更
業務連絡になります。
このたび、grasslizard@nifty.comのアドレスを解約し、
gmailに移行します。
10年以上使ってきたアドレスになりますが、
思い切って解約しました。
9月末日までは機能しますが、それ以降は新アドレスになります。
ほとんどのみなさんにはすでにgmailを使用していますが、
まだ知らないよーという方がいらっしゃいましたら、
ご一報ください。
旧メールアドレスでも、このブログにでもかまいません。
それでは、引き続き宜しくお願いします。
10年目の旅からの帰途
さて、みなさん。
僕の旅におつきあいいただきありがとうございました。
途中、いろいろな苦難や考えもしなかった進展があったり、
へこんだ日もあり、
喜んだ日もあり、
2ヶ月間必死であがきながら、この旅を続けてきました。
気がつけば、この旅も初めてアラスカを旅してから10年目の旅になりました。
今年も様々な出会いと新しい兆しをもらって、今シアトルで
このエントリを書いています。
友人と酒の席で今までの人生の歩んだ日にちの数が話題に出ました。
便利なサイトで自動計算させると今日でちょうど12257日の日を迎える
ことになります。
10年目ではなく積み重ねた1本の道として、
12257回の今日を積み重ね、今ここに居ます。
あの日も
この日も
同じ一日。
そして、まだまだ長い旅の途上。
しかし、ひとまずは、日本に帰ってゆっくりしたいと思います。
僕が今回旅を続けて来れたのはアラスカで、支え続けてくれる友人達の
支えがなければ、とても実現できませんでした。
アラスカというのは人気のない、未開の荒野に見えるかも知れませんが、
僕にとっては暖かな友人達の待つそんな土地になってきました。
10年目にしてやっとそんな自分のアラスカの地図が見え始めたのが
何よりの収穫かもしれません。
そして、いろいろなコメントをくれた皆さん。
コメントを返していませんが、ありがとうございました。
なにより、どんなコメントであれ、暖かくうれしく思いました。
まあ、カメラは派手に壊しましたが、
良い写真も撮れました。
そして、さらにタフになった気がします。
友達が言ってました。
「大丈夫。 メーカーは今日も工場で新しいのを作っているから、カメラは買えば良い。」
そんな言葉をかけてくれる友達と積み重ねた1日もありました。
日和った事を言っているように見えるかも知れませんが、
中身は相変わらず、ギラギラです。
さて、飛行機の登場時間が来たようです。
ひとまずは、ここで。