先日久しぶりにクマの夢を見ました。
知床でガイドをしていた時は、頻繁に見ていたけど
久しぶりに見ました。
でも久しぶりに見た夢は、
以前と趣向が変わったみたいで、ガイドの時は
クマがこちらに向かってきても
自分以外の人に向かっていって、自分は全く相手にされないで
何も出来ないでとても悔しい思いをするというのが、
いつものパターンだったけど、
今回の夢は川の中で割と大きめの若いクマと取っ組み合って
力比べをしている夢でした。
最初は川の土手で川の中にいるクマをのんびりと撮影しながら
観察していた。
そのクマは自分の事に集中していて、
全くこちらを気にしない様子で、川の中で何かを探していた。
こちらもクマが人がそばにいる事にストレスに感じていない事が
伝わっていて、その事に自分の中で手応えとゆったりとクマを観察できる
充実感でいっぱいになっていた。
しかし、ここから話が唐突に急展開する。
はっと気が付くとさっきまで観察していたクマと
まるでプロレスラーががっちり組み合うように川の中で
組み合っている。
その状況は恐ろしい恐怖心などは全く感じられないのだけれども、
とにかくこいつをここで負かせてしまおうと、強く思っていて
何とか全身に力を込めてみるのだけれど、150センチほどのクマは
こちらが力を込めるとその分、力を込めて押し返してくる。
こいつ小さいのに力が強いな!!と思ってさらに力を振り絞ると
その分またクマも力を込めてくる。
負ける様子はないのだけれど、がっちり重く組んでいて
とてもほどける様子はなかった。
どのくらい続いたのか判らないけれど、がっちり組んだ重さに疲れて
目が覚めた。
それからやっと夢だったと気が付いた。
この夢のおかげで全身に力が入っていて、疲れ切っていた。
手や足を一つ一つほどかないと力がゆるまなかった。
妙にがっちり組んだ重さがリアルだったと思ったら、
布団が変に絡まってまとわりついていて、身動きがとれなかっただけだった。
しかし、いつもクマが夢に出てくるとどんな夢でもとても疲れる。
月: 2007年2月
風情っていいね
日本語という言葉に今日はしびれてしまった。
なんと素晴らしいセンスを持った言語だろう
僕らはこのセンスを普段生かし切っているのだろうか?
何ってあなた!
わかりません?このセンス。
騙しあいですよ。
これは、なんとすてきな名前でしょう。
一つのどんぶりの中でだましあってる物語のある食べ物なんですよ。
ただの揚げと天かすのうどんなんて、味気ない名前ではなく
「きつねとたぬきのだましあい」という素晴らしいセンス。
前に美輪明宏がテレビで
「狐と狸のばかしあいなんですよ、男と女って。ほとんど狐が勝って、狸がかなうわけないんです。」って言い切ってたセリフも思い出した。
この場合、狸はもちろん男ですが。
でも、思い出しただけで、この言葉に特に深い意味はありません。
ま、このだましあいうどんに勝敗は必要ないし、ずっとだましあってて
欲しいものです。
でも、実はただ名前に感動しただけで、食べなかったことは内緒。
そのうち「だましあい、ひとつ!うどんで!」って注文してみよう。
格差、格差というけれど、
最近、格差という言葉をよく聞く。
そんな言葉あったなあ、と思っていたら
いつの間にかみんな使うようになり、あっという間に浸透して
国会の焦点になるほど使われているようだ。
何かに追われるように皆この言葉におびえているけれど、
いったい何に差が付くのだろう?
ふと仕事先で見上げた満月にそんな事を思った。
なぜなら、
アラスカで満月の月光にじっと照らされたデナリの撮影中に
見上げた月の美しさと何も変わらなかったからだ。
そして、同じ月の美しさに感動している自分がいた。
必死に何かを探して生きているたくさんの人々の上を
あのときと同じ月が浮かんでいた。
この月の下で今日もたくさんの人が暮らしている。
この世界でちょっとした差が付いたところで
一体なんだというのだろう。