ゼロに据える


久しぶりに写真のことをいろいろと考えています。
ずっと、前に知床にいた頃に考えていたことをこれからシリーズとして
撮ってみたいと最近思うようになってきました。
頭のはじっこにずーっとあったことなんだけれど、
なかなか熟さないまま10年くらい経ってしまいました。
何かきっかけがあったわけではないけれど、
日常的に撮れる写真ってなにかあるかな?と考え始めた事から
思い出して、引っ張り出してみました。
まだ、撮り始めてもいないことなので、再びお蔵入りするかもしれないけど、
リハビリがてらにちょうどいいと考えてます。
今暮らしている日常にある自然の中から撮れる物をさがしてみると、
アラスカのようなスケールの大きな関わりを見つめることはできないけれど、
少ない自然ということであれば、個の生命を見つめざるを得ないわけで、
そうなってくるとアラスカのような大きな生命の仕組みにも共通してくるような
個の生命との共通点を見つけられるよう取り組んでみるのが、しばらくの
課題になりそうです。
しかし、そうなってくるとデジタルに頼れるかな?という疑問符も浮かんできたり。
本来、デジタルという機材はゼロとイチの集合体であり、
ぶれるはずの無い機械であるはずなのに、フォーマットが進化しながら変わり続け、
今もその途上である以上、こういった個人的で長い時間をかけて撮っていこうと
プロジェクトには一番不向きなことにも気がついた。
写真という表現は機械を媒介として、存在させる。
その媒介が変わり続けてしまっては、いったい何のための個性になってしまうのだろう。
便利だけれど、こんな面もある。
そんな感じでしょうか?

投稿者: WildHarmony

1978年 東京都生まれ 東洋工学専門学校(現 東京環境工科専門学校)にて、フィールドワークの基礎を学ぶ。 北海道・知床、自然トピアしれとこ管理財団(現 知床財団)に通年で2年間ガイドとして勤務。 様々な経験を積み、クマのいるフィールドで行動する技術を学ぶ。 知床のフィールドで、写真で生き物を撮す事の愉しさを知り、 自分を通して自然を写真で表現することの奥深さに触れる。 北の自然へのあこがれに従って、その後アラスカへ渡る。 アラスカの広大な土地を巡る鮭の旅に触れ、 巨大ないのちのサイクルに自分のテーマ「鮭」を見出す。 Kentaro Yasui Born in Tokyo in 1978. Learned the basic skill of fieldwork from Toyo-Kogaku special school. After graduating I worked for Shiretoko foundation in Hokkaido. and guided in Shiretoko National park for many people in two years. Because of my admiration for nature of the north, I went to Alaska to photograph its beauty and wildlife. I mentioned of expressing nature with a photograph through oneself. Currently resident in Japan.

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