今日、歩きながらポケットで自分の携帯が鳴った。
相手をみると、なんと
「父」の名前が・・・・
おいおい、なんだこれは
と思いながら、みると確かに父の番号
でてみると、
「すいません、電話もらったみたいですが、
どちらさまでしょうかねぇ?」
「?」
話の相手は丁寧な男性の声。
事情を聞くと、どうやら
こちらからの着信があって、
すぐに切れてしまったので、かけ直してきたようだ。
状況から言うと、ストレートタイプの携帯なので、
キーロックをかけないとポケットでたまに
誤発信してしまうことがしばしばあって、
今回もそうなってしまったようだ。
それにしても、「父」の名前が出たときには
びっくりした。
何しろ3年前に他界した父の携帯からかかってくるはずないのだ。
亡くなって少したってから解約したが、番号はそのまま登録しっぱなし
にしていたが、この番号はどうなるんだろうな?
なんて解約するときに考えた。
誰かが父が使っていた
その番号で誰かと連絡をとっていること
を知ってみると、メールアドレスや携帯電話の番号を
個人の識別に使うように所有した錯覚を
ぼくらはもっているけれど、それすらも
古い世代から新しい世代へと循環し続ける
「人間」を表すかのように、人から人へと
回り回っていることが、おもしろかった。
前に携帯を買ったときに「この番号のうちどれにしますか?」
なんて、3つほどの候補の番号を見せられたけれど、
それだって誰かが使っていたものかも知れない。
無限に存在すると思っていた番号の組み合わせが
そうではなくて、性別も年齢も人種も関係なく
無作為に人々の人生の間を回り巡っているということが、
電話番号というコミュニケーションのために
作られた「携帯電話の番号」の持つ意味を
超えて存在している気がした。