休みを利用して、
「ガイアシンフォニー 地球交響曲 第3番」
を観に行ってきた。
雨が降っていて肌寒かったけれど、
主婦が主体と成って運営されている
草の根の上映会のアットホームな暖かさが、秋雨の中迎えてくれた。
もっと若いときに一度見たけれど、どうもそのあとから
星野さんの死後作られたメディアを敬遠するきらいがあって、
内容もうろ覚えのままでいたので、アラスカに少し離れてしまった
今だから、食わず嫌いせずに行けばきっと素直にみられるのでは?と楽しみにしていた。
内容がうろ覚えなのは
毎回、上映時間が長いのと何となく考えながらみているうちに
疲れてしまって、必ず居眠りしてしまうからだ。
(今回も途中居眠りしてしまった。)
最近、年を食った経験を積んだせいか、
いろいろと読み取れるようになったみたいで、
若いときに見たときは星野さんの事をもっと知れたと感動した覚えがあるけれど、
今回は、星野さんの事故直後に撮影され、
そして時間をおかずに編集されているところがとにかく気になった。
直子さんのインタビューが張り詰めている中での
決意表明のような形になっていたり、
星野さんの近しい人々のインタビューではそれぞれの画の中にある空気感が
僕もかつて味わった、身近な人を亡くした人が纏う、
誰もいない部屋に差し込む光の中で音もなくきらきらと舞うほこりような
静謐さをもった空気だった。
作品としてみると、星野さんが亡くなってしまったことでの大きな軌道修正から
何とか成立させようとしているが、存命だったらと考えると、
とても残念に感じてしまった。
自分の今までの食わず嫌いを考え直すいい機会にもなったけれど、
同じ作品でも、それを見る時の状況や、そのあとに自分が変わっていくことで
もう一度見るとまったく違う表情を見せてくれるものだ。
そう思うと、上映前のスタッフの
「ガイアシンフォニーという映画は、必要なときに必要としている人に届く映画です」
と話していた台詞が心に残った。
運営スタッフの方たち、 ありがとう。
確かに届いたかも。
星野さんを失ったひとたちの表情を映画で見たけれど、
出演者の何人かのその後を知る今としては、時として大きな喪失があったとしても、
そのあとにもきちんと幸福も用意されている。
この数年間、喪失ばかりの俺にとっては、
さらに喪失を重ねることはつらいかもしれないけれど、
それで先に進めるなら先に進む決断をしない
といけないと思いながら帰ってきた。