最近、図書館で本を借りて読むようになりました。
前は借りっぱなしで返さない自分のだらしなさを
思い知るのが、いやでこの何年も足が遠のいていました。
(なら、返せば良いんだけど。)
この所、沢山読みたい本があるんだけど、
それに充てられる資金は決して潤沢ではないので、
自然とそのリストが長くなっていってしまうという
ある意味思考停止のような状態が長引いて
いたのだけれど、ふっと図書館の存在を思い出し、
考え方を変えてみれば、好きな本が読みたいだけ読めるぞ。
という事に気がつきました。
そこで、最近何冊か借りてきました。
中には
「決闘写真論」篠山紀信・中原卓馬
のオリジナルがあったりして、これは中古で買っても
7千円くらいするので、これはラッキーとばかりに
いろいろな本をリクエストした。
しかも、今の図書館のシステムはオンラインで検索・予約が
できるので、さくさくとリクエストした。
タダで読めるぞ、しめしめと思ったけれど、
人気の本は順番待ちがあって、
山口県光市であった母子殺人の事件の被害者のドキュメンタリー
「なぜ君は絶望と闘えたか」門田隆将
は340人近い人が列を成して順番を待っていた。
もちろん僕もこの列に加わったのだけれど、
今日、この本を本屋で見かけて、
値段をみてちょっと考えてしまった。
それは、1300円という値段だった事だ。
もちろん、タダで読めるという事で
図書館というアイデアに飛びついたのだけれど、
しかし、そこだけで良いのだろうかとも考えた。
もちろん、本を読む事で自分に対する何かをもらうわけだから、
お金の事で引っかかって思考停止のように先に進めないことは
何の意味もないけれど、
それでも自分にとって何か価値のある物をもらえる事が判っていて、
尚かつその価値にはお金をはらえるだけの尊さがあるのであれば
支払うべきなのではないかと思った。
それこそ、まさに自分が人に訴えようとしてるプロセスでもあるからだ。
読んだ人のレビューなどからこの本が
良書であるだろうことは推察出来た。
この本を手に取るのならば、この本を送り出してくれた筆者に
お礼をするべきだろう。
その金額は今の自分には払える金額だ。
当然、今の自分は全ての読みたい本にお金を支払えるような余裕はない。
それでも、自分は「これ」と思った物にお金を払う。
例え今回のようにそれが10回のうち、1回でも
間違ってない範囲の中でのしたたかに上を目指す方法を
考える事と、そこだけにとらわれない正しい視点を自由にもてる事。
バランス。
技術とハート
写真を撮る時に最近感じている事も同じ。