China Poot Lake

車も復活してから、地元の友達にいろいろと挨拶して回って
今日で到着してから9日目になりました。
それぞれみんな僕が来るのを楽しみにしていてくれたみたいで、
たくさんの歓迎を受けました。
うれしい限りです。
挨拶回りとはいっても、情報集めの目的もあって、
いろいろな話を聞いて回りました。
僕が到着してからだいたい4日ほどから
鮭がメインの川に入り始めました。
だいたい5日間で50万匹近い鮭が入ってきたようです。
当然、それを聞いて今まで撮っていたフィールドを一つ一つまわり、
チェックしてみましたが、まだまだ鮭がくる気配はなく、
何匹かは見かけましたが、まだまだ撮影を始めるには時間があるようです。
今回はほかにも暖めていたプロジェクトがあり、まだフィールドにいる時間は増やせてません。
それでも、今こうしている時間にも鮭たちが釣り人のフックをかいくぐり、
ゆっくりとエメラルドグリーンの濃厚な色の水を旅していることを想像すると
わくわくしてきます。
おそらく、一気に忙しくなるだろうと食料や車のメンテナンス。
そしていろいろな人に写真をみせたりと、一つずつこなしながら
フィールドの様子を伺っています。
今回は、友達の所に挨拶したときに、
「明日、フロートトリップ行くけど、一緒に行くか?」
「どこにいくの?」
「Homerの先に日帰りだから、そんなに長くはないけれどチャンスがあれば、鮭の小さいのも撮れると思うよ。」
「行く!行く行く!」
ということで、行ってきました。
Homer という南の町から飛行機で20分ほどですが、
China Poot Lake -Googleマップで確認する-
それでも、バックカントリーには変わりなく、前にChina Poot Bayという入り江をほかの
バイオロジストから紹介されていたので、その偵察もかねて。
約束の時間からだいぶ遅れて今回のエアタクシーのパイロットがやってきた。

夏の鮮やかな空の色にシルエットで揺らぐ、スゲの様子を見ていると
ゆったりと流れる時間を感じる。

燃料を入れ、

仕事とは言え、最後に丁寧に積み込まれるのは、
「釣り竿」です。

このHomerという町は、南のアラスカへ飛行機と船を送り出す始点になっていて、
眼下に空港を望むと、フロートと呼ばれる水上機の発着のための湖と空港が背中
合わせにあります。
さらに少し南に進むとスピットと呼ばれる、港がありここには小さなボートからフェリー、
クルーズシップまでが係留されます。

10分もせずに対岸の景色が

China Poot Lakeは山間の小さな湖のため、湖全景を空から眺めることを
期待していたが、谷間を抜けてすぐに湖が真下に広がってしまい、
視界の悪い飛行機の窓からは眼下の景色を眺めることもできず、
あっという間に着水。


もちろん、彼らも僕も遊びに来たわけではないので、早速仕事に取りかかります。
彼らはこの湖に、たくさんの紅ザケの稚魚を毎年放流していて
その鮭の世話をするためにわざわざ湖まで飛行機飛んできたのでした。
このChina Poot Lakeにはもともと鮭は棲息していなくて、そこに人工的に導入したのでした。
しかし、この湖には鮭が棲息できない条件が大きくわけると2つあり、
一つは水の透明度が高いことからわかるように、養分が少なくプランクトンの数が少ないので、
稚魚が大きく育つことができないこと。
そして、もう一つは大きな滝がいくつも湖の下流にあり、鮭が湖まで還ってくることができないこと。
大きくあげるとこの2つになります。
つまり、人の手をかけなければ鮭は育たず、さらにこの湖に鮭が戻ってきて産卵することは
ありません。
還ってくる見込みのない鮭のために、多額の費用をかけて導入して、育てようとするのか?
巨大なプラスティック製の樽に養分となる液体が満たされていて、
この液体をポンプで吸い出し、湖の水と混ぜてボートから湖に投入していく。


着いてすぐに不思議に思ったことが一つ。
このボートもガソリンも50本あまりの巨大な樽も
樽を積み込む桟橋もいったいどこから来て、どうやって運び込んだのか?
4人ほどしか乗れない、僕らが乗ってきたセスナを思い浮かべると、
発想が小さくなってしまいますが、
答えは「もっと大きな飛行機」で運びこんだ。
が、正解でした。
このあたりがアラスカの広大な感覚の一番違いを感じたところでもあるのだけれど、
イメージできないような巨大な水上飛行機があって、それで運びこんだそうです。

まんべんなく、液体を撒けるようにるように、湖の端までいき、ある程度のおおらかさを
感じさせるジグザグ航行で、夏の空の映った湖をボートは走る。
夏の心地よい暖かさの日差しをうけていると、頭に何をうかべることもなくうとうとと
し始める。


ボートに載せられる重量を考え、2本までしか積めないので
残らないように丁寧に1本ずつ撒いてはひっくり返して樽を交換する
(樽1本がだいたい40キロ以上あったと思う。)
今回の同行

ロン
経験豊富なメカニックで、ときどきメタボなお腹をさすっていて、
「中に何が入っているんだい?」と聞くと、
「鋳鉄さ!」と陽気に返してきます。
その言葉は本当で、ブラウンベアのように筋肉質で
ガッチガチの筋肉は「アメリカ=頑丈」という言葉のまさに体現者。

キャシー
双眼鏡と鳥の図鑑を手放さず、しょっちゅうビデオをとりだしては自分の
ナレーションいりで録画していた。
まるで、ドキュメンタリーのナレーターのように。

無事、作業を終えそれぞれに僕はカメラを、ロンは釣り竿をそして、キャシーは
ビデオと双眼鏡をとりだし、帰りの飛行機が迎えにくるまでのあいだ
好きなことをしようということになり、
(もちろん、最初からみんなこれを楽しみにしていたわけで。)
その前に、ここに住んでいる、知り合いの所に行き、
そこで、ランチを食べようと言うことになり、湖に浮かぶキャビンに
船を向けました。

前に、こんな所まで荷物をいったいどうやって運び混んだのだろうと思った事を
書いたけれど、さすがにこのキャビンは想定外でした。

人里離れ、飛行機でしか通えない場所に
薪を積み、野菜を育てているまさに人の暮らしがあった。

しかし、本当に驚いたのは、暮らしている夫婦がなんと、
二人合わせると160歳を超える、老夫婦がたった二人で暮らしていることだった。
聞くと、1958年からこの場所を所有していて、今は州立公園の真ん中になってしまっているが、
ずっと個人の土地として守ってきたということだった。
パイロットだった旦那さんはこの場所を気に入り、今でもHomerから飛んでくる飛行機のエンジン音を
聞くと、だいたい誰が飛んできたのかわかるという話だった。
このキャビンのすべての資材は飛行機で運び、今では月に一度、お孫さんが
様子を見に来る以外は、夏の間はずっと二人でこの湖で過ごしているそうだ。
話を聞きながら、些末な心配からくる質問が幾つか浮かんだが、口にすることはなかった。
「時には山から吹き下ろしが台風を超えるような風速になるのよ。」
「時々、クマがひょっこり顔をだしたり、ムースが泳いでいくの。」
「もう年をとって、ひいひいおばあちゃんよ。5世代ね。」

昔の写真を持ち出して、
「これでも、自慢の美脚だったのよ」と奥さん、
「おう、そうだ。あれは最高だった!」と旦那さん。
人が生きていくことで、変わりゆくことは避けられない。
こうして、旅をしている僕も、いずれ年老いて
動かぬ躯となる。
そんなことを時々思うこともあるけれど、
彼らのように生きる間、自分が「年老いたから」と生きることを放棄せずに
生を全うできるだろうか?と自問してしまった。

キャビンを去るとき、
「ゲストブックに名前を書いていってね。」とそっと手渡された。

夏の日差しの差し込む穏やかな裏庭
アラスカには「こんなところに?」と驚くような所に
人の確かな営みがある。
キャビンを離れゆくボートの上で、裏庭の景色を思い浮かべながら
家に戻っていく様子の彼らを見送ったときに、彼らがここで続けてきた確かな営みを強く感じた。


迎えの飛行機は時間通りに現れ、きっとこの飛行機も誰が操縦してきたかの話に
なっているんだろうなと想像していると、
しっかりと助走をとって、フルパワーでうなりを上げて飛行機は離水した。
なぜ、還ってくる見込みのない鮭のために、多額の費用をかけて導入して、育てようとするのか?

それは、還ってこれないこの湖を利用した人の営みだった。
湖に戻ってこようとする鮭の習性を利用し、滝によって遡上できない滞留した鮭に、
漁師が網をかけて収穫するための人が作り出した鮭のサイクルだった。
このことによって、経済が回り、たくさんの人の生活を鮭が支えていた。
一見すると自然に見える世界。
鮭が人の営みを左右し、人の営みが鮭を左右する。
そんな事を思う旅だった。

投稿者: WildHarmony

1978年 東京都生まれ 東洋工学専門学校(現 東京環境工科専門学校)にて、フィールドワークの基礎を学ぶ。 北海道・知床、自然トピアしれとこ管理財団(現 知床財団)に通年で2年間ガイドとして勤務。 様々な経験を積み、クマのいるフィールドで行動する技術を学ぶ。 知床のフィールドで、写真で生き物を撮す事の愉しさを知り、 自分を通して自然を写真で表現することの奥深さに触れる。 北の自然へのあこがれに従って、その後アラスカへ渡る。 アラスカの広大な土地を巡る鮭の旅に触れ、 巨大ないのちのサイクルに自分のテーマ「鮭」を見出す。 Kentaro Yasui Born in Tokyo in 1978. Learned the basic skill of fieldwork from Toyo-Kogaku special school. After graduating I worked for Shiretoko foundation in Hokkaido. and guided in Shiretoko National park for many people in two years. Because of my admiration for nature of the north, I went to Alaska to photograph its beauty and wildlife. I mentioned of expressing nature with a photograph through oneself. Currently resident in Japan.

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