原発で働く人々が無事家族のもとに帰れますように

職場から自宅待機を言い渡されて、明日、明後日と混乱を避けるために
延長になりました。
家で備えられることはだいたいやったつもりなので、
ずっと流しっぱなしのテレビを見ているだけの一日が終わった。
すこしの買い出しは出かけたけれど、ずっと被害の状況を
テレビで見ながら、それでも何もできずに見ているだけの自分にも
苛立ちがつのるし、先の見えない状況のストレスもあるし、
つねに情報を逃すわけにはいかないと聞き逃さないようにしている状況
にだんだんと夜になるにつれて疲れてきた。
夕方まで、被災した人たちをかんがえると、とても言えないとは
思っていたけれど、やっぱり、「しんどい」
それは、状況だけではなく、みんなそれぞれ、自分なりの意見を声高にさけぶ
ネットの記事を目にしているのもあるのかも知れない。
福島の原発の2号機の状況をずっと夕方から目が離せずに
見守ってきたけれど、そこでずっと作業に携わっている人たちの
事を考えていた。
多少の人為的なミスもあったかも知れないが、
その人たちが俺たちの生活を守ろうと自らを犠牲にして、
ずっと、必死に闘っているその彼らの気持ちを思うと
胸が痛くなる。
きっと帰れない覚悟もしているだろう。
「仕事」という言葉だけでは片付けられない
使命感をもって臨んでいるはずだ。
いろんな意見もあるかも知れないけれど、人のために自らを犠牲にしても
それを守ろうと闘うひとたちの気持ちに応えるには何ができるだろうか?
どうやれば、そういう人たちに感謝の気持ちは届くだろう?
ただ、現場で働く人たちが無事に家族のもとに帰れることを祈ります。

投稿者: WildHarmony

1978年 東京都生まれ 東洋工学専門学校(現 東京環境工科専門学校)にて、フィールドワークの基礎を学ぶ。 北海道・知床、自然トピアしれとこ管理財団(現 知床財団)に通年で2年間ガイドとして勤務。 様々な経験を積み、クマのいるフィールドで行動する技術を学ぶ。 知床のフィールドで、写真で生き物を撮す事の愉しさを知り、 自分を通して自然を写真で表現することの奥深さに触れる。 北の自然へのあこがれに従って、その後アラスカへ渡る。 アラスカの広大な土地を巡る鮭の旅に触れ、 巨大ないのちのサイクルに自分のテーマ「鮭」を見出す。 Kentaro Yasui Born in Tokyo in 1978. Learned the basic skill of fieldwork from Toyo-Kogaku special school. After graduating I worked for Shiretoko foundation in Hokkaido. and guided in Shiretoko National park for many people in two years. Because of my admiration for nature of the north, I went to Alaska to photograph its beauty and wildlife. I mentioned of expressing nature with a photograph through oneself. Currently resident in Japan.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です